HOME >
批判できる環境づくり。
2010.01.04|iwamura
普段生活していて、もうちょっと本音を言えたらお互いに良いコミュニケーションができるのに、なかなか言えない…なんてことはないですか?上司の指示に対してイマイチ腑に落ちない時とか、友達の行動に対して本当は注意してあげたいのにできない時とか。
もともと、「批判する」というのは、私たち日本人にとってはちょっと苦手な行為なのかもしれません。「和を以て貴しと為す」という言葉があるくらいですから。
ただ、さとなおさんの1/2(土)のエントリー、ボクはネットの善の力を信じているより、なんとなく共感できるポイントを見つけました。
せっかく首相がチャネルを開いてくれても、罵詈雑言で応えていたら、それはきっとまた閉じられてしまう。
そうすると、今後「やっぱりネットは政治に合わない」という教訓になり、ボクたち国民と政治の距離はまた遠くなってしまうだろう。鳩山内閣の下ではなんとか開かれ続けたとしても、次の内閣では確実に閉じられてしまうだろう。批判をしてはいけないということではない。ボクたちが選んだ代表者に批判や要望を言うのはボクたちの大事な権利だ。でも、批判するなら真面目にやろう。罵詈雑言や誹謗中傷ではなく、建設的に意見を言おう。いいと思うところはちゃんといいと伝えよう。悪いと思うところは何故そう思うかを真摯に伝えよう。首相と直接つながるツールをやっとボクたちは手に入れたのだから。ネットを愛しているならなおのこと、大事に有効に使っていこう。
自分も社会に出て感じたことですが、批判というとどうも「悪」と捉えられることが多い気がします。例えば、上司から指示されたことに対して「それはおかしいと思います。なぜなら…」と言えば、「嫌ならやらなくていい」と返されたりとか。
しかし、罵声と批判は違います。あくまで個人の見解ですが、前者は相手を打ち負かす意図が強く、後者は最終的なベクトルとしてお互いがハッピーになることを目的にしている(人にもよりますが)。そのように思えます。例えば「建設的な批判」という言葉はしっくりきても、「建設的な罵声」て何か違和感がありませんか?(笑)
例えば、サッカーの元ブラジル代表のレオナルドは、こう語っています。
「私のことを経験不足と指摘するのは、もっとも簡単な批評だろう。もしダービーに5−0で勝っていたら、次の日の新聞に何が書かれていたのかはわからない。私については、賛否がはっきり分かれている。しかし、私は私の行く道を歩み続ける。批判されることも、成長の糧にしていきたい。あのダービーを忘れずに歩んでいきたい」※レオナルド、「批判を成長の糧に変える」
お互いに高いところを目指して行こうというのなら、どんどん「批判」できる環境はあったほうがいいのかもしれません。絶対不可欠ではありませんが。鳩山さんの場合は、「ブログ」と「twitter」がその際のツールだったと思います。
会社、学校、サークル…所属する組織や状況によって最適なツールは異なりますが、「お互いが前を向いてモノを言える環境づくり」は2010年のひとつのテーマにしてみてはいかがでしょうか?