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昭和の日
2009.04.29|umiushi
4/29って「みどりの日」じゃなかったっけ?
と、思うのは昭和末期~平成ひとケタ生まれでしょうか。
わたくしごときディープ昭和生まれとしては、
「天皇誕生日」
だった記憶が鮮明です。
戦争責任だの何だのはおいといて、
(わたくしの手に余る上に休日にはそぐわないですから)
先帝のお人柄が偲ばれるエピソードを一発。
昭和60年、群馬県御巣鷹山に日航機が墜落。
その救助活動・事後処理に尽力した黒澤丈夫・上野村村長の労をねぎらいお褒めの言葉をかけるとともに、
「お前さん(連合艦隊大演習の時に)日向か長門に乗ってなかったかい・・・」
黒澤村長、本当に当時(太平洋戦争より前)士官候補生で演習に参加してたらしいです。参加っても、その辺に立ってただけの士官候補生を覚えてらしたとは・・・
元々頭の回転が速い方だったというのはよく聞きますが、なんでしょうこの気配り。
今の世界で、“Emperor(皇帝)”と呼ばれる唯一の系譜だけありますな。
(Wikipedia にこういう話が満載でした)
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これだけでは何ですので、もう一発柔らかいのを。
昭和天皇が若かりしころ、銀座のさるキャバレーに随分と入れ込んだことがあった。
連日のように侍従たちを従えて開店から閉店まで貸し切りにしてドンチャン騒ぎをしていたのだが、ある晩のことこの店に口調は丁寧だが気が強そうな女性から
「あのお方をお願いします」と電話がかかってきた。
しかしどこの誰かまったく名乗らない。
この店のママは困ってしまい、侍従の中で一番のコワモテ、侍従武官の阿南惟幾に電話を取り次いだところ、
阿南は顔面蒼白になり陛下に何事か耳打ちすると陛下も急変し身なりを整えるとそそくさと店から去ってしまった。
後日、勘定の清算をしに店を訪れた宮内省の者によると電話をかけてきたのは他ならぬ香淳皇后であると明かした。
その後、陛下の夜遊びはピシャリと止んだそうだ。
(信じられないが、本当だ より)
今は不敬罪が無いので申してしまいますが、
旧海軍で「天ちゃん」って言ってたのも分からんではない。