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木村拓也さん訃報~若者へのメッセージ2010春。
2010.04.08|iwamura
昨日7日、元巨人軍の木村拓也さんが急逝されました。
ご冥福をお祈りいたします。
2日に行われたプロ野球・広島―巨人戦(マツダスタジアム)の試合前にくも膜下出血で倒れ、広島市内の病院に入院していた読売巨人軍の木村拓也(きむら・たくや)内野守備走塁コーチが7日午前3時22分、死去した。37歳だった。
宮崎南高から1991年ドラフト外で日本ハムに入団。94年オフに広島、2006年途中から巨人に移籍した。もともとは捕手だが、内、外野をこなし、打者としてはスイッチヒッターに転向。プロ19年間で投手以外のすべてのポジションを守るなど、球界を代表するユーティリティープレーヤーとして2004年アテネ五輪にも出場し、銅メダル獲得に貢献した。09年を最後に現役を引退。今季から巨人の内野守備走塁コーチに就任したばかりだった。
※yomiuri on lineより抜粋(部分略)
スイッチヒッター(右でも左でも打てる)であり、全てのポジションを経験する。
ものすごい器用で成功した方に見えますね。でも、苦しい時代があったみたいです。
今年の3月4日、巨人軍に入団した選手たちへ向けた、新人研修の際、彼が語った熱きメッセージをウェブサイトで見つけましたので、以下にご報告。
桜舞い散る春。少し長いですが、とても熱いです。サバイバーの言葉。
2010.03.04
NPB新人研修 木村拓コーチ講義内容
1990年のドラフトで、僕は指名されませんでした。ドラフト外で日本ハムに入団する時に、スカウトから「入ったら横一線だから。プロの世界は自分が頑張って結果を残せば、一軍に上がって大変な給料がもらえる」と言われました。
でも入ってみるとちょっと違っていた。僕はキャンプ初日にシートノックでボール回しをやった時に、「とんでもない所に来た」と思いました。プロのスピードについていけない。ドラフト外というのもなるほどな、これはすぐにやめて田舎に帰らないと、と思いました。
2年目に、一軍にけが人が多く、初めて一軍に上がりました。
3年目は開幕一軍でしたが、ほとんどが守備要員でした。1か月ほどで二軍に落ちて、それ以降は一軍に上がらずでした。3年目のオフに転機がありました。9月末から12月末の4か月間、ハワイのウインターリーグに参加し、イチロー選手といっしょでした。1歳下のイチロー選手に衝撃を受けました。4か月間同じ部屋で、朝起きたらいない。朝からウエートトレーニングをしていたのです。自分はこんなんじゃだめだなと思い、イチロー選手が僕の野球人生を変えてくれた一人になり、感謝しています。
4年目は、1年間一軍にいましたが、守備要員でした。しかしやっと「野球選手になれたな」と思っていたのですが、広島にトレードになった。正直「何でおれが」と思いました。広島は当時、野村、江藤、前田、音、緒方、金本の名選手ぞろい……僕に入り込むすきはなかった。移籍1年目は数試合に出て7打数で安打なし。「これはクビになるな」と思い、「どうやったらここで生きていけるか」と考えました。一軍のレギュラーの中では、セカンドが確か34、35歳のベテランだったので、セカンドをやるしかないと練習するようになりました。
移籍2年目は、一軍を行ったり来たり。それまでは右打席でのみ打っていましたが、左投手の時には代打で出られるけれど、右投手だと代えられる。どうしたら代えられないようにできるかと、スイッチヒッターに取り組みました。自分が生きていくためには必要だと。
プロに入って9年かかって、10年目に136試合フル出場しました。野球選手の平均寿命が8、9年で、自分がそこまで生き残れました。
今、みんなは希望にあふれて「レギュラーを獲って生き残ってやる」と思っているだろうが、必ず壁にぶつかる。そんな時、ざ折してあきらめるのか、そうでないのか、自分で考えないといけない。
自分は「こういう選手になろう」と思ってここまで来た選手じゃない。こうやるしか思いつかなかった。それが「ユーティリティープレーヤー」、「何でも屋」で、それでもこの世界で食っていける。「レギュラーになる、エースになる」だけではない。巨人の藤田宗一投手は、中継ぎ登板だけで自分と同じ歳までやっている。それで飯が食える、それがプロ野球。「俺が一番うまい」と思って入団して、一番得意だった事がうまくいかない。それもプロ野球。その時にあきらめるのではなく、自分の話を思い出してほしい。投げ出す前に、自分自身を知って可能性を探るのも必要ではないか。
※読売巨人軍公式ホームページより抜粋(部分略)
生き残る為に、自分の可能性を全て試し、なんでもやる。
うまくいかなくても、壁にぶち当たっても、決してあきらめない。
それが、「プロ」。
4月から「プロ」になるみなさん、そして、今までも、これからも「プロ」であり続けるみなさんへ。
天国から、木村拓也さんメッセージでした。