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中国残留孤児 ~ 本多勝一「殺される側の論理」~

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2012.12.02|iwamura

ということで、時節柄、久方ぶりに本多勝一先生を読み直してみている。

ベトナム戦争で、世界で一等に、北ベトナム解放軍最前線、またアメリカ軍(南ベトナム軍)最前線双方で取材したことが、

そして、そのあと世界で誰よりも激しくアメリカを糾弾し、また日本をも糾弾した「真実」にこだわるその姿勢が、

彼の名を世にとどろかせた。

「魂のシャウト」ジャーナリスト本多勝一。

※賛否はありますけど「最前線」「体当たり」には敬礼です。

そんな折り、もう最近はめっきり見なくなったこのニュースです。

終戦直後の混乱で家族と離れ離れになった中国残留孤児の男性1人が、肉親を探すため29日、日本に一時帰国し「肉親と再会して、自分が知らない家族の話を聞きたい」と話しました。
時さんについての情報提供の連絡先は「中国残留邦人等支援室」で、電話番号は03-3593-7890と03-3595-2456です。

一時帰国したのは、ことし新たに中国残留孤児と確認された時洪告さんで、29日昼すぎ、羽田空港に到着しました。
時さんの終戦当時の推定年齢は2歳、血液型はB型で、遼寧省撫順市の炭鉱で働いていた日本人から中国人の男性を通じて養父のもとに預けられたとみられています。
時さんは、厚生労働省で記者会見を行い「日本に来られてよかったです。家族に再会し、自分が知らない家族の話や、別れたあとのことについて話を聞きたいです」と話しました。

NHKニュースさんより

中国残留孤児。

「二つの祖国」という重い人生は、

人類の過去の歴史の中に数々あったであろうが、

これらはほんとうに難しい、と思うところでございます。

さて、中国残留孤児とは第2次戦(とあえて呼称するが)最後シベリア、満州、樺太から戻ってこれなくなった邦人、または孤児をさします。

ミッドウェー、グアム、サイパンが落ち、日本のターンは終了。

OKINAWA、原爆を境にいよいよ連合軍の反撃のターンMAX最終章、の時期である。

憎まれて当たり前。

殺されて当たり前。

そんな中、シベリアの地で逃げ遅れた(あるいはときに捨てられた)子ども、赤ちゃんたちを育てて、

大きくしてくれたでっかい中国があった。

それはひとつの真実である。

小生の故郷は長野県飯田市。本多勝一先生とともに、山本慈昭師

つまりはあの、「中国残留孤児の父」とも同郷である。

中国残留孤児の父「山本慈昭」さんの話です。山崎豊子「大地の子」(文藝春秋)をお読みの方は覚えていらっしゃると思います。
1902年(明治35年)飯田市に生まれ、1932年南信州阿智村駒場の長岳寺の住職に。1945年5月(昭和20年)満蒙開拓団阿智郷(参加者330人)の小学校教諭として51名の生徒とともに渡満。この時期、3月に東京大空襲(死者10万人)があった後です。沖縄は陥落寸前です。たった4ヶ月後、8月ソ連軍の侵攻、敗戦、生きて帰ったのは42名、そのうち生徒は5名です。山本さんは奥さんと2人の子供を連れいましたが自身はソ連軍に連行されシベリアへ、帰国後に家族の死を伝えられました。24年後(1969年)、臨終の床の村民から長女啓江さんが生存しているのではないかという話を聞きます。
1972年日中共同声明により国交が開かれ、山本さんの中国残留孤児探しの活動が始まります。今でいうNPOです。「日中友好手をつなぐ会」の会長に推され、1979年10月11日第1回総会が開かれ、1980年(昭和55年)残留孤児の訪中調査に赴きます。80歳のときです。315人の孤児に面接、その調査報告が翌81年の第1回47人の残留孤児の来日に結びつきます。孤児といっても年齢は40代です。このときの肉親判明者は24名。不明のままの23人に山本さんは語りかけます。
「今日から私が皆さんの父親になります。いつでも日本に来てください。私の家に来てください。待ってます」

山本さんは年金と住職としてのわずかな収入のほとんどをこの運動につかっていたといいます。満蒙の地に散った教え子たちへの贖罪だったのでしょうか。その後、肉親にめぐり会えなかった方の一人が山本さんの娘さんを探し出してくれたそうです。90歳,100歳までこの仕事を続けるとがんばっていましたが88歳で天寿を全うします。(この稿は「プロジェクトX-新リーダーたちの言葉」(今井彰 文藝春秋)を参考にしました)

比企の丘からさんより

弱者の心の叫びをえぐりだすことこそが、ジャーナリズムが伝えるべき「真実」だと本田勝一は言う。

そしてその「真実」を、どう未来のシアワセへ繋げてゆけばいいのかという仕事こそがお隣同士で生きるということであって、

助けてもらった恩義はあるからそこはありがとう御座いますだし尊敬だろという、

そういうところは忘れるべきではないと思います。

※もちろん、厳しい環境の中で頑張られた残留邦人の方々の努力が最大のリメンバーであるが。

両国がいまガタガタになったこんなタイミングで、良い風がふく感じのニュースを両国有志よありがとう御座います(笑)。

今週もハラに力入れて励みます。

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