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そういうわけで、ニンテンドー3DSはできた。
2011.01.08|iwamura
さむい日本列島。
やはりこたつにビール、ネットにゲームが正しい過ごし方ではないでしょうか。
さて、そんな本日お送りしたいあつい記事こちら。
でました。
nintendo社長の岩田さん、マリオ生みの親宮本さん、game大好き糸井さんによる鼎談!
「なぜニンテンドー3DS」~メガネなしの3D体験ゲーム!~を任天堂は作ることができたのか?!
が語られています。
失敗は成功の母なんだなあ。
岩田
じつはですね、
ニンテンドー3DSの話をする前に、
あえて、バーチャルボーイ(※)の話をしようと思うんです。糸井
バーチャルボーイ!
※ バーチャルボーイ=1995年発売の家庭用ゲーム機。ゴーグル型の画面をのぞき込み、立体映像で表示されるゲームを楽しめた。
宮本
うわ(笑)。
岩田
そのバーチャルボーイは、
商業的にいえば、失敗したと思います。
ふつうの考え方からいえば、
3Dというジャンルについては
トラウマになってもおかしくないとさえ、思います。
ところが、任天堂という会社は、
その後も3Dというものに、
しつこくしつこくトライし続けてきたんです。
そして、ついに今回、それが実を結んだともいえる。
その一連の話はね、ちょっとおもしろい気がして。※社長が訊く『ニンテンドー3DS』~そういうわけで、ニンテンドー3DSはできた。より抜粋(部分略)
バーチャルボーイ!
おぼえてますよ。当時、西友さんのお試しゲーム機に並んだクチです。当時はそう、やっぱりnintendo64とかが主流で、バーチャルボーイは「キワモノ」扱い。なんでnintendoこんなもの作るんだって。
でも、これがエラい立体的で。ワイヤフレームでゴリゴリしてるんだけど、スターウォーズみたいで、俺は嫌いではなかった。
しかし「キワモノ」ですよね(笑)。
でもこれをタダの「黒歴史」とせず、「プラットフォーム機にならないとダメだ」「裸眼じゃないとカッコわりい」と、2つの「気づきの歴史」と位置づけた任天堂!
上記インタビュー引用リンクを踏んで頂くと細かく解るが、ゲームキューブやアドバンス、各ゲームプラットフォーム機を発売するたびに、実は3D技術を埋め込み、3D裸眼確認にチャレンジし続けていた任天堂!
糸井
ああ、10年前ですもんね。
岩田
※社長が訊く『ニンテンドー3DS』~そういうわけで、ニンテンドー3DSはできた。より抜粋(部分略)
マジか?!
10年前から?!
ルイージ飛び出してのか?!
裸眼で?!
マジかーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!
くぅ、こわいぐらいにカッコイイぜnintendo!!!!!!
と、いうことで、3連休、nintendo3DS体験会@幕張メッセです。
寒すぎる諸氏には毎日午前11時からusteramでステージプログラムも観れるでよ。
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