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「生誕25周年記念ドラゴンクエスト展」の実際。
2011.10.11|iwamura
ということで、ありがとうございます。
ドラゴンクエスト25周年展、お陰さまで大入りのようです。
自分は森ビルさんからの資料によりそれを知り得るが、正確な数値は知らない。
ただ、会場に開催3日間いた感覚として、お客さまの数を見て理解できるのだが、間違いなく大入りです。
諸処の問題は、展覧会を開始してみて解ったこともあり、今後そのシステム的問題も含め、改めてゆく必要はあるが、これは大成功になりそうだ、ということが、肌で感じられます。
そして伝説が、始まりそうです。
アメリカにおけるミュージカル公演、ブロードウェイでの上演が決まるかどうか、スポンサーがつくかどうか、そのすべては、関係者に向けた第一回目のプレ興行における、休憩時間までの前幕を基準に決定されるものと聞く。
休憩時間前の前半が終わって客席にスポンサーが大勢残っていれば成功。いなければお蔵入り。ひどい公演になると、幕が開いて5分で誰もいなくなるという。
ドラゴンクエスト展、お客さまの平均的滞留時間は2時間近くになるようだ。
これは展示会としては異例のレベルである。
そしてこれは決して行列で60分待ちとか、そういった話ではない。純粋に内覧に、それくらいの時間がかかるが、まったく苦にならない、ということなのである。
志田英邦は、飽きさせない。
当イベントの企画を書いたのは、志田英邦そのひとなのであるが、自分は他社も含め、この3年余り、昨年の東京ドームイベント時も含め、それこそ50や60では効かない数のドラクエイベント企画書全てに目を通しているが、しかし。
志田英邦氏からあげられた10枚程度のワードによるテキスト企画書を初めて見た瞬間に、この企画の成功がイメージできてしまった。
社会人になってから拾余年、グラフや解り易さ、デザインに優れた数々の企画書を見てきたが、文字ベースでここまでイマジネーションさせる企画書は初めてだった。初めて、この企画を本当に今すぐ、「俺が見たい」と思わせる何かがそこに在った。
イベント2日目の昼過ぎ、「初日を超える来場者数」の情報が流れた。
志田さんに握手を求めた。
断られた(笑)。
「そんなことよりも、」
展覧会の問題点と思われる個所を列挙する志田英邦。確かに、まだ来場者が2カ月ぶん解ったわけではない。
しかし展覧会は、ほぼ、彼の思い描いた企画通りに、でき上っている。
「テクニック(技術)とテクノロジー(技術)」
いや、むしろ、彼の企画はそれをベースとした、フジ産経グループというメディアコングロマリット、及び常にエレガントかつ心優しき現場主義者であり続ける森ビルという出資社側のサポートにより、より強固なものとして、成り立っている。
しかし、展覧会準備が始まってみてこれは解ったことなのであるが、やはり主役は、本案件を、最期の最後、「やりましょう」と決断した、スクウェア・エニックスドラゴンクエストプロデューサー、「青海亮太」そのひとであったという事実は否めない。
よく受けて頂けたと思う。
青海さん、今回発売した25周年記念ソフト、「ドラゴンクエストⅠ・Ⅱ・Ⅲ~ファミコン&スーパーファミコン」のプロデューサーなわけですよ。
発売直前、人生で一番忙しいかもしれない時期。
そもそも、ゲームプロデューサーは「ゲームを売ってナンボ」。
しかも、そのタイトルが「ドラゴンクエスト」であるのだ。売れなかったらそれは即、死を意味する。
青海さん発売のⅠ・Ⅱ・Ⅲは、発売1週間、このご時世にwiiで30万本。
「男」青海プロデューサーやりました(この後展覧会案件にいよいよ本腰を入れだす青海亮太センセイ)。
強い。
もの凄く強い。
やはり「ドラゴンクエストプロデューサー」はスゴい。
小生も3年というわずかな期間であるが、旧エニックスの在籍期間があり、「ドラクエを売る」と言うことに関して、その片鱗は経験をしたことがある。
売って当然、売れなきゃお前の責任だ。
スクウェア・エニックス宣伝部の皆さんの闘い方を見ればそれはわかる。それがブランドを守るということだ。
「棚を作ってくれないグループチェーンがあるのか。じゃあバイヤーにこう話してみろ。『次のドラゴンクエストはどれぐらい欲しいですか』」
ドラクエをベースに、ドラクエは神で、それをブランドとして成長をしてきた歴史が、スクウェア・エニックスには確かにある。
そしてだがしかし、変革の必要も、また同時に宿命として背負わされたタイトル「ドラゴンクエスト」でもあるのだ。
今回のような、企画書、原画を生で出しまくりというゲームイベントは過去に例が無い。
グーグル先生のデータベースでも、それは知りえない、生の迫力に満ちた世界だ。
そうした展覧会イベントは、スクウェア・エニックス及びエニックスは、過去25年間、一度も行っていない。
理由は簡単で
「失敗してブランドに傷がつくリスクがある以上、やらない」。
筋は通っている。
「ドラゴンクエスト」を冠に据える以上、万が一にも、売れないことは許されない。
だが、カフェで見つけたかわいい女の子を「ただ眺めてるだけの幸せ」じゃなくて。
彼女に声をかけて、もっと仲良くなれるかもしれない、という「より高度な幸せ」を掴む可能性について、我々はそれを諦めてはいけない。
自分の大事なドラクエタイトル発売前に、我々を信じ、リスクに飛び込んだ青海亮太プロデューサーの男気を、我々制作委員会サイドは、もう少し、理解しないといけない。
そしてこれはどういうことかというと、志田英邦という天才と、青海亮太プロデューサーという怪獣2人の仕事を、弊社が間近に確認したイベントであり、至近距離でその高度なやりとりに常に関わらせて頂けている実績は、非常に有意義である、ト、こう言うことなのでありますね。
その爆風にはすさまじいものがある。死ぬかと思うトキもある(笑)。
しかしその爆風の向こうに、上り坂な、坂の上の雲を追いかける心地よさがあります。
天才2人のエネルギーに、生かされていた、この3~4カ月間の準備期間だったと思います。
この仕事を正式に受ける前夜、志田さんと2時間にわたる電話。志田さんは半ば叫ぶようにこう言った。
「岩村さん、解ってますか。この仕事を受けるということがどういうことか。
相手は、我々の900倍、いや9万倍、ドラクエのプロなんですよ。」
プロの仕事、拝見させていただけております。
一流ではない、超一流だと思います。
改善点、諸処ありますが、会場を歩きながら、お客さまの歓喜の声を聞いていると、時に涙ぐむことがあります。
自分が、学校をさぼり、今は亡き祖父に伴われて並んだ、小学3年の冬の日を思い出します。
ドラクエ、隠れてやってた。
楽しかった。惹きこまれた。夢中になった。
ゲームデザイナー堀井雄二先生、ありがとうございます。
今回の展覧会におけるお客さまひとりひとりの、期待を裏切らず、むしろ逆に歓喜の声をあげて頂ける展覧会になったことに、感謝します。
堀井先生の、怪獣2人の、協力各社の、尽力と命をかけたエネルギーに厚く御礼申し上げます。
最高の仕事です。
もちろん、現在進行形です。
熱き魂のなせる、ドラゴンクエスト25周年の歴史。
そして、ドラゴンクエストブランドの、新たなるステージへの挑戦。
国内トップ売り上げを常にたたき出してきたその秘密、25周年の進化を、遠くまで見える、美しい東京の展望とともに、是非御一覧を。
「テクニックとテクノロジー」ですよ。