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懐かしのファミコンが名刺ケースになって登場
2009.09.08|umiushi
完全に出オチなんだけど、ファミコン世代としてはちょっと欲しい。クヤシイけど。
懐かしのファミコンが名刺ケースになって登場…バンプレストより
バンプレストは、ファミコンのコントローラーを模した名刺ケース「Nintendoファミコンコントローラー型名刺ケース」を10月下旬から販売します。
(インパクトありすぎなので後略)
しかし今考えてみると、あのころはものすごい時代でした。
想像もつかない裏技とか、
企画だけでお蔵入りこいちゃったゲームとか
(お蔵入りしてよかった・・・という気もする コチラから)
しかし、今だったら出来ないことの筆頭がこちらであります。
ウル技(ウルテク、ウルトラテクニック)紹介コーナーでは、毎号1つ嘘のウル技を用意して読者に当てさせるクイズ「ウソテックイズ」も出すという企画もあった。このウソ技は、他紙による情報盗用問題を念頭においていたが、そのウソ技を盗用して本当の技として掲載してしまった雑誌から苦情が来るということもあったという[要出典]。また、ウソ技の中には開発者側で面白いということになり、続編において本当のウル技として実現されたものもあった[1]。
その一方で、『水晶の龍』の野球拳等、読者が嘘と見抜けないウソ技や、非常に高度な、しかし上級者には決して不可能ではないレベルのゲームプレイを要求したあげくウソ技であるといったようなものが騒動となり、物議をかもすことも多かった[要出典]。この騒動以降、ウソ技は見た目ですぐ分かるような簡素な物になり、投稿者の欄にはゲームに関連したようなペンネームが使われたが、年末号のみ手の込んだものになった。
たとえばこんなの。
(内容)タイトル画面で2コンの十字キーの右と上を押さえながら1コンのAボタンをタイトルBGMに合わせて押す。そしてメロディ終了後すぐにスタートするとスぺランカーが空中を歩き回り無敵になる。
これよくひっかかったよなあ・・・
まあ、せっかくクリアしても
ということで、あまりマジになるな、という警告だったのかも(考えすぎ)。
丸投げは、やめよう。
2009.09.07|iwamura
「じゃ、●●さん(広告代理店)。今回は予算●●億円を御社に託しますので、プロモーションを全部お任せします。」 by 宣伝部
これが、今までの日本の広告業界における”多くの”慣習でした。広告主は広告代理店に宣伝予算を預け、プロモーションをすべて丸投げしていたのが現状です。
メリットとしては、広告主側の作業コスト削減が挙げられます。プロモーションにおける調査、企画、実施をすべて広告代理店にお任せしますから。言ってみれば、このメリットがあるから、ずっと今までこのような慣習でやってきたとも言えます。広告代理店側としても、安定的に収益を確保することができます。
逆にデメリットは何か?ひとつ挙げるとするなら、目標設定力が身に付かないことでしょう。プロモーションの目的を定めることができないため、広告代理店はどのようなアイデアを出していいのかわからない。その結果、代理店のチカラを充分に引き出すことができなくなり、効果的なプロモーションが難しくなってしまう。
良い「目標」がなければ、良い「アイデア」は生まれないのです。
広告代理店に丸投げしていない広告主例として、日本コカ・コーラ株式会社があります。最近発売されたこころを動かすマーケティング―コカ・コーラのブランド価値はこうしてつくられるを読んだことがありますが、商品のプロモーションを企画する際には、「どんな人に飲んでもらいたいのか」「どんな状況で飲んでもらいたいのか」「飲んで、どんな気持ちになってもらいたいのか」など、プロモーションの方向性をすべて自社で固めるそうです。その結果、広告代理店もクリエイティブジャンプしたアイデアが出てきたのではないでしょうか。
反対に、うまくいかなかった例。具体的な社名をお出しすることはできませんが、関係者から聞いた話ではこんなことがあったそうです。とある老舗の食品メーカー様。広告代理店側が「どんなターゲットを、どんな気持ちにさせたいのか教えてください」と宣伝部長に聞いたところ、白紙のオリエン・ブリーフ(プロモーションの方向性を書いた書類)が返ってきたそうです。今まで自社で考えたことがなかったから、戦略を立てられないとのこと。
でも、広告代理店としては、企画を持っていかないわけにはいきません。ただ、代理店内でブレストをしようにも、どうすればゴールなのかわからない。そのため、アイデア会議が活発にならなかったと聞きました。ちなみに、その企業は昔から代理店にプロモーションを丸投げしてたそうです。
代理店に丸投げしてしまうと、その場では作業も減って楽かもしれないですが、ゆくゆくを考えるとノウハウが蓄積されない。長い目で見るなら、ぜひ丸投げしないことをオススメします。
ウーパールーパーを料理!??
2009.09.06|iwamura
ウーパールーパーを料理!?っというか、食べれるんですか・・・!??
ペットとして需要がなくなった養殖のウーパールーパーを、食用として国内や中国に出荷しようという動きがあると
いう。富山にある『日本生物教材研究センター』という養殖業者さんがすすめているプロジェクトだそうで、とりあえず最新の動きを伺ってみることに。すると、「実は本日、もう九州のある食品業者さんに出荷しました」との衝撃の情報が!(9月3日)
同センターによると、中国へは乾燥したものを輸出する予定だが、国内で流通させるの
は生のウーパールーパーだそう。ペットショップなどで見かけるウーパールーパーは小さな生き物というイメージがあるが、ここでは17~18cm程度にまで育ったウーパールーパーを選び、内臓を抜くという処理を施してから出荷するそうだ。
ちなみに、食べ方としては油で揚げて「丸ごと」食べるのがおすすめだそう。「からあげにすると、おいしいですよ。味はまあ、ふぐとかすっぽん、あなご等に似ているかもしれませんね」とのことで、あっさりした上品な味わいらしい。
気になるお値段は1匹600~800円ということで、栄養についてはコラーゲンが含まれているらしく、女性の美肌づくりなどにも効果が期待できるという。原産国のメキシコでは、古来より不老長寿をもたらす食材とされていたとのこと。
テレビや新聞で報道されたことから興味を示す食品業者などが現れる一方、一般の消費者からはやはり「かわいそう」という声も届いている。
引用:Excite Bit コネタ
個人的な感想としては、ウーパールーパーを料理し、食すのは遠慮したいですね・・・。(例え、600円でフグより安く食べれるとしても・・・(笑))
もし、食べるときにはあの笑っているような、表情に絶対罪悪感を感じるでしょうね・・・。
皆さんは「ウーパールーパーのから揚げ」・「ウーパールーパーの定食」がメニューにあったら注文しますか!?(笑)
初音ミクの立体映像がスゴい件。
2009.09.05|iwamura
ロボットが生きて、一緒に遊んでくれて、友達でいてくれたらいいのに。。。
という思いは、古くはアトム、そしてドラえもんに至るまで人類の夢であったわけだが。
歌声合成ソフト(ボーカロイド)として記録的なヒットを飛ばした「初音ミク」が、8月31日で発売2周年を迎えた。そして同日、そのマイルストーンというべきライブイベント「ミクフェス ’09(夏)」が、東京・新木場にある「STUDIO COAST」で開かれた。
出演アーティストは、Supercell、livetune、doriko、OSTER project、19’s Sound Factory、デッドボールP、鶴田加茂(ika)&MOSAIC.WAVといった、初音ミクファンにはなじみ深い、超有名曲の作り手たちだ。ステージには初音ミクも登場して、約3時間に渡って2300人のファンを熱狂させた。
※ASCII.jpより抜粋
ということなんですが、これはつまり、コンピュータ作成の音楽(DTP)による仮想歌姫「初音ミク」のライブを実際にやっちゃった!
ということになるのだが、それじゃあ、「現実にはデータであるミクを、実際にどうやってステージに立たせるのか?!」というところが一つの問題点にはなる。
「プロジェクターで大写し」がまあ、前回のさいたまスーパーアリーナでの実績だったようなのだが。。。
今回はすげえ。これ、日本人は本当に何でもやっちゃうんだなと(笑)。
今回は舞台に透明なスクリーン(ディラットスクリーン)を3枚置き、裏側からプロジェクターで彼女の姿を照射するという演出を試みた。スクリーンが透明なので、「画面のむこう」にいるという感覚は薄れた。
特に会場の照明を落とすと、3Dホログラムのような立体的な姿が浮かび上がって、初音ミクが本当にそこに立っているような錯覚を覚える。
あるときは単独で、またあるときはバンドメンバーやDJと一緒に舞台で動き回る初音ミクを見ていると、単なるビデオ上映会でも、人間によるライブでもない、別のステージ表現が生まれている印象を受けた。
ちなみに主催者によれば、今回舞台で使ったモーションデータは、PSP用ゲーム「初音ミク -Project DIVA-」のものを元にしているそうだ。
※ACII.jpより抜粋
人間は、やっぱりひとりなんですよね。友達も奥さんもいても、一人で生まれて一人で死んでいくわけで。
さみしがり屋の人間が、いつか、やっぱりデータやロボットの友達をつくる日が、また近づいた気がして。
それは一方である種の淋しさを感じながらも、しかしまた一方で、わくわくする未来でもあるんだよな。
でも、友達作ろうとする人間の努力の結晶みたいなこういうニュース、きらいじゃないんだよなあやっぱり。
日経新聞は、サイモン・ウィーゼンタール・センターに謝罪するか。
2009.09.04|iwamura
自民党大敗や円高に隠れてしまっているが、久々にセンセーショナルだな、というニュースがこちら。
やっぱり、日本国内にも支援団体は存在するんだろうなあ。
The Simon Wiesenthal Center, a Los Angeles-based human rights group, on Monday issued a protest to the Nihon Keizai Shimbun-sha over an advertisement appearing in the Aug 2 edition of its Tokyo edition that it alleges to be anti-Semitic.
In a press release also posted on its website, the Wiesenthal Center’s associate dean Abraham Cooper blasted the Nihon Keizai Shimbun for having “broken a longstanding commitment to desist from running advertisements that promote anti-Jewish stereotypes, by running an advertisement for two books that promote the canard of Jewish control over the global economy.”
ユダヤ人権団体が日経新聞に抗議/JAPAN TODAYより抜粋
※googleによる翻訳サイトはこちら。
※渦中の問題の本はこちら。
まあこれはつまり、日経新聞が「ユダヤの陰謀論」的な本の広告を載せたことについての抗議ですね。byサイモン・ウィーゼンタール・センター。
サイモン・ウィーゼンタール・センターについてはwikiに詳しいのでそちらを引用してみよう。
サイモン・ウィーゼンタール・センター(Simon Wiesenthal Center、SWC)は、1977年に創設されたイスラエル・ロビー団体。本部はロサンゼルス。「寛容の博物館」の運営を行なっている。 サイモン・ヴィーゼンタールが設立し、日本においては、ユダヤ人やイスラエルを批判したりする人・団体や、いわゆる「ユダヤ陰謀論」やホロコースト否認を主張しているとする発言・書籍等に対しての抗議などで知られている。
※wikipediaより抜粋
この団体は、1995年、文芸春秋「マルコポーロ」が、「ホロコースト大量虐殺はなかった」とする文書を掲載してわずか2週間で廃刊、及び当時の文芸春秋社長辞任という騒ぎ(これは結構すごいことで)になったとき、名前のあがった団体であり、今回も容赦はないだろうな、と小生は推測する。
おそらく日経新聞も校閲してる人も10人じゃ足らないぐらいいるだろう。でも広告だったし、見逃しちゃったなという感じ。しかし、このレベルの他社出版物の広告にも確実に抗議してくるあたり、「世界におけるユダヤ人ネットワーク」の徹底を感じ、それはコワくもあるのだが、また同時に、日系2世3世が母国語をしゃべれない国の住人としては、羨ましくも映る。
そして最大の争点はやはり「日経新聞側は謝罪するのか」という点。
これはつまり、日経新聞が謝罪広告なんかを掲載しちゃった場合「広告収入にモロに影響する外部からの圧力に対し、謝罪することが日本最大の経済新聞としてどうなのか」という問題なわけですね。
日経新聞(「けいざい」の新聞だからねえ)なだけに、謝罪をスパっとしちゃってもいいような気もするが、今日の段階ではググっても出てこないから謝罪掲載はまだなんだろうな。
もちろん日経新聞も一枚岩ではないから、内部では相当揉めているだろうと思われる。外務省も動いているだろうな。
歴史と誇りを起因とした闘わねばならぬ民族ユダヤびとと、メディアの正義と。経済と。
俺はでも、プライドもカネも、メディアの責任も、いろいろ大事なんだけどさあ、でももっと大事なのは、仲良く助け合うことではないかと思うのだ。簡単に言うと「愛」。当たり前だけど。
たとえば、杉原千畝さんの功績は、ユダヤ人にとっても、日本人にとっても、「愛の歴史」であったと小生は思うのだ。
第二次世界大戦中、外務省の命令に反してトランジットビザ(Transit visa.通過査証、通過ビザとも。以下ビザと記載)を発給することでドイツによる迫害から約6,000人のユダヤ人を救った。
海外では、センポ・スギハラ、「東洋のシンドラー」とも呼ばれる。
wikipediaより抜粋
人種や主張や立場が違っても、たとえ国に背いても、「自分の心に正しいことをした」杉原さんの愛。
「自分の心に正しい」と思って、そしてそれが「愛」に準じたものであれば。俺はそこにこそ、言論や主張の自由があってしかるべきだと思う。それこそが、報道やメディアにおける「正義」「事実」ではないのか?
事実とは、支配される側の立場に立った主観的事実をえぐり出すこと(本田勝一氏)。その観点において、今回の「弱者の為の公器」である「新聞」への広告掲載はどうであったか。また一方、ユダヤ人の世界的立場は、いま、そしてこれから、どうであるのか。
日経新聞側の謝罪は必要かもしれない。ただ、「寛容の博物館」を運営するサイモン・ウィーゼンタール・センター側にも、愛ある対応を期待したいと思います。
長文最後までありがとうございます。
ブログ訪問のみなさんにも、愛あふれる金曜日でありますように。