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マタニティマークの重要性(と若干の問題点)
2012.08.05|umiushi
今回は珍しくご意見ぶっ放す内容なのですが、無駄に長くなるのがいつものクセですので、核心だけ最初に申し上げます。
男性の方へ:
このマークをつけてる女性をみかけたら、席を譲りましょう。
女性、というか妊婦の方へ:
具合悪くて座りたかったら、遠慮せず「座らせて」と言いましょう。
野郎どもはあなたの想像以上にマタニティマークの意味が分かっていません。
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改めまして、ご無沙汰のumiushiです。現ブログメンバーでは実は社長の次に古株なのですが、最近はすっかりサボりご隠居状態で恐縮です。久しぶりに参上しました。本日もよろしくどうぞ。
さて、わたくしこれまで、プロ野球がどうとかどこそこの酒が美味いとか、「にっぽんのおとうさん」炸裂な記事ばかりアップしておりましたが、最近本当におとうさんになってしまったこともあり、新米の僭越もなんのその、マタニティマークに思うことを申し述べたいと思います。
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まず男性の方に。
体の構造上、わしら野郎にはまず分からないですが、つわりってのは辛いらしいです。
つわりは妊娠初期に特有ですが、この時期はまだほとんどお腹も膨らまないので、外見からは判断できません。だからこそ、お腹が膨らんでないけどマタニティマークをつけている女性、こういう方こそいたわらなければならんようです。
というのも、見た目で「お、妊娠しとるな」くらいの時期、俗に言う安定期になりますと、腹がでかくて大義な以外は、つわりの頃より楽らしいです。だから席を譲らなくていいってわけではないですが、「お腹が膨らんでないときのほうが辛い」という意味で、気に留めておいてよい情報かと思います。
であるからして、席を譲ってほしい、と言われたときに、
「そんなこと言っても腹出てねえじゃねえか」ではなく、
「そういう時がいちばん辛い」のです。
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続けて、妊娠中の方へ。
繰り返しになりますが、野郎どもはつわりの辛さ等、やっぱり実感は出来ないため、女性から見れば全然妊婦さんに気が効かないのが事実です。皆が妊婦や子供をいたわる社会が理想ではありますが。
とはいっても、特に家族に妊婦がいた・いる方なら想像つきやすいでしょうから、遠慮することなく「すまんが座らせてくれ」と頼めばいいでしょう。一定の確率で譲ってくれない人もいるでしょうが、それは本人も具合が悪いか、もしくは性格が悪いヒトですので仕方ありません。他のだれかが譲ってくれるでしょう(?)。
ただし、やっぱり礼儀とまでは言いませんが、他人に物を頼むにはそれなりの言い方がありますので、丁寧に。
「子は国の宝」「子供は天使」なんて言ったりしますけど、万人がそう思ってくれるわけではありませんので。
正直なところ、「譲ってもらって当然」みたいな人にはあんまり譲りたくないもん。
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そういうわけで、以上を要約すると冒頭のように、
・男はマタニティマークの人に席ゆずれ
・妊婦はきちんと頼んで座らせてもらえ
となるわけです。
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で、以下は蛇足というか、男から見たマタニティマークの問題点です。今更言っても詮ないことではありますが、どうしても言っておきたい。
まず、小さくて遠目には何だかよく分からない(暴言)。
特に他のアクセサリーと一緒にぶら下がってたりすると区別がつかない。かといって「もしかしてマタニティマークかな?」とじろじろ見るのも痴漢みたいなので憚られる。
大きいバージョンもあるようですが、あまり見かけた覚えが無いですな。
それから、デザインが悪い(断言)。
女性が身につけるものですから、どんな服装でもそれなりに合う色合いや絵柄にしてほしい、絵も可愛いほうがいい、等々、ということでこれになったのでしょうが、 ちょっと色々詰め込み過ぎた感があり、
何が言いたいのかよくわからん(男目線)。
中でも女性と男性の思考の違いというか、温度差が一番現れていると思うのが、「おなかに赤ちゃんがいます」の一文です。これはまず
字が小さくて読めん!
それでもなんとか解読したところで、
「おなかに赤ちゃんがいます」と言われても、
「そうですか」で終わりがちなのが野郎です。
なんというかこの一文は、「妊婦はつらいの、後はわかるでしょ、察してね」という感じがする。男からすると一番言ってほしいのは、上記では省略されておる、
「(おなかに赤ちゃんがいるので)つらいんです、座らせて下さい」
の部分であるわけです。
そう言われれば「あ、座ります?」という発想も出てくるわけですよ。
というわけで、
「これくらいしてくれれば分かるのに」私案
今更デザインを変えるのは混乱の元でしょうが、やっぱりこういうマークのたぐいは、
これくらいの分かりやすさが欲しいものです。
・・・我ながら武骨者でございましたな。ではまた。
糸川英夫先生の名言につきまして
2012.07.24|iwamura
H2Bロケット3号機における、「こうのとり」打ち上げ成功おめでとうございます!
国際宇宙ステーション(ISS)への物資補給機「こうのとり」3号機を載せた国産大型ロケット「H2B」3号機が21日午前11時6分、鹿児島県の種子島宇宙センターから打ち上げられた。こうのとりは約15分後、予定軌道に投入され打ち上げは成功した。こうのとりは約15分後、予定軌道に投入され打ち上げは成功した。順調に行けば27日、星出彰彦さん(43)らが滞在するISSに到着する。こうのとりは大型バスに匹敵する大きさで約4.6トンの物資を搭載。ISS日本実験棟「きぼう」でメダカなどを飼育する水槽や、きぼうから放出する日米の超小型衛星5基のほか、星出さんら滞在飛行士の食料や日用品などを運ぶ。ISS到着時は星出さんらがロボットアームでつかみ、28日に取り付けを完了する見込み。不用品を積んで9月上旬に離脱、大気圏に再突入して燃え尽きる。
youtubeより
「大気圏に再突入して燃え尽きる」
日本ぽい幕の引き方でございます。今回ミッションで放出される小型衛星たちも、大気圏突入の際燃え尽きる設計だそうな。。。
さて、ロケット打ち上げは、初めて見るとものすごく感動するみたいですね。
小生の友人でロケットの「ロ」の字も知らない友人も
「ロケットは地球から宇宙に飛んでゆくものだということが、見ていてわかった」
「ロケットって、人間ってすげーなと思って涙が出た」
等と申しておりまして、やはりこれは百聞は一見にしかずの世界なのだと想像します。
さて、そして日本で初めてのロケット発射に成功したのは、そう、惑星イトカワの「糸川英夫」博士その人です!
1964年(昭和39年) 東京大学宇宙航空研究所発足
7月 L(ラムダ)-3-1打上げ、高度1,000kmに到達。1965年(昭和40年) Mロケット1段目モータ燃焼試験(能代ロケット実験場)。
6月 科学衛星計画発表(日本学術会議宇宙空間研究特別委員会)1966年(昭和41年) 9月 L-4S-1打上げ失敗
12月 L-4S-2打上げ失敗1967年(昭和42年) 3月 東京大学を退官。組織工学研究所を設立し、これを機に宇宙開発から引退する。
4月 L-4S-3打上げ失敗
漁業者との交渉のため、翌年9月までロケットの打上げを中断。1969年(昭和44年) 9月 L-4S-4打上げ失敗 1970年(昭和45年) 2月11日 L-4S-5号機で、日本初の人工衛星「おおすみ」の打上げに成功。
注目すべきは、特には「日本海側の打ち上げに限界を感じ」て、発射場を日本海から種子島へ移してから、1966年~1969年までの失敗の連続と、それでもあきらめなかった彼の熱意でしょうか。
今でさえ、小惑星の名前にもなり、はやぶさ産みの親、としてご高名な糸川先生でいらっしゃいますが、実績をつくろうともがき奔走する苦しい時代が、大先生にもあったのだな、と思うと、少し勇気ももらえる、そんな夏の日でございます。
さて、糸川先生生誕100周年の今年、以下、糸川先生の名言で締め、本日も業務に励みたいと存じます。
「人生で大切なのは、
失敗の歴史である。」
これは、「失敗から学べ」とおっしゃられているのでしょうね。
それでは糸川先生のベストセラーからも、学んでしまいましょうか。
40年前当時で100万部売ったというのだからホンモノです。
そして今読んでもまったく色褪せない「ロケットを飛ばす人の考え方の本」です。
というか、国力維持拡大のためには移民受け入れではなく、逆に若者は世界へ打って出ろ!日本人口の半分は海外で働くべきだ!等と当時から言い切ってしまう、弱小国家日本における人口政策への提言と、この本全体を通して流れる、その極めてスマートかつマッソーな理論が、まさに「逆転の発想」であり、男だって濡れてしまうのでございます。
そうなんですよね、糸川先生。
「目標に向かって、
一段ずつ階段を上っていく上で、
いちばん肝心なことは、
必ず、最初の一段を上るということである。
そしてまた次に一段上るということである。」
最初の一歩を勇気をもって踏み出しつつも、
やっぱり一歩一歩、大事に進んでいきたいと存じます。
「自分にできること」よりも、
「世の中が求めていること」に
挑戦しつづけたほうが、人生も楽しい。
暑くて毎日大変ですが、今日もヤるしかなさそうですね。
励みます。
大人がアンパンマンについて考えてみた。
2012.05.28|☆KAYA☆
月曜日は☆KAYA☆です。
最近産休明けの上司が仕事復帰して、頻繁に子供の話をしています。
私も将来の為、勉強になる話を聞いています。
すると上司が「アンパンマンは神!!」と断言しているのを聞いて、
興味がわいたので調べてみました。その魅力。
以前、戦争経験者でもある作者やなせたかし先生が言ったという、
こんなアンパンマン誕生秘話を聞いたことがあります。
「最終的なヒーローはなんだろうと考えたとき、
お腹がすいた時に助けてくれるのがヒーローだと考えた。」
深い。。。そして切なくなりました。
戦争時、子供達はお腹を空かせて泣いていたんでしょうね。
おそらく世界中のヒーローを全て調べても、
自分の身を削って子供達に食事を与えるヒーローは他にいないでしょう。
やなせたかし先生のコメントは、本当に素敵ですね。
以下「NEVERまとめ」より。
アンパンマンは死にますか?
やなせたかし
「アンパンマンワールドは、不老不死の世界です。」アンパンマンの誕生日は?
やなせたかし
「よくわかりませんが、困ったときは僕の誕生日の二月六日と答えています。アンパンマンに、恋人はいるのですか?
やなせたかし
「そうですね。アンパンマンは、だれに対しても公平ですし。正義の味方は、ちょっぴり孤独で寂しいですね
正義のヒーローは、いつもやはり寂しいものなんですね。
”愛と勇気だけが友達”だったっけ?
ばいきんまんは、どこから何のためにやってきたのですか?
やなせたかし
「アンパンマンと闘うため『正義の敵』としてやってきました。」ばいきんまんは、なぜアンパンマンをやっつけようとするのですか?
やなせたかし
「アンパンマンと闘うために存在しているからです。正義は、悪がなければ成り立たないのです。アンパンマンは、ばいきんまんをやっつけるだけで、なぜ捕まえないのですか?
やなせたかし
「アンパンマンとばいきんまんは、光と影、陽と陰、あるいはプラスとマイナスのような関係です。どちらか一人だけでは存在できません。お互いそのことをよく知ってるのでしょう。ばいきんまんがアンパンマンに勝ったことはありますか?
やなせたかし
「勝つこともありますし、決着がつかず引き分けることもあります。
しかし、最終的にはばいきんまんが負けます。
正義は勝つ、というセオリーからは逃れられません。かわいそうですが……」
「…かわいそうですが。」の部分に込められた、
やなせ先生のバイキンマンへの愛が感じられます。
ジャムおじさんは、結婚しているのですか?
やなせたかし
「ずーっと独身です。なぜなら、そのほうが自由だから。」
カレーパンマンは、誰が作ったのですか?
(『カレーパンマンが最初に登場したとき、ジャムおじさんが自分で作ったと言っている』という解説に続いて、)
やなせたかし
「アンパンマンを作ったときのノウハウがありますから」
ドキンちゃんは、いつ生まれたのですか?
やなせたかし
「ドキンちゃんに限らず、他のすべてのキャラクターすべて、よく分かりません。妖精は空気のようなものですから、いつの間にかそこにいる、という感じです。ドキンちゃんは、なぜしょくぱんまんを好きになったのですか?
パン工場は、どれくらいの広さですか?
やなせたかし
「はっきりしません。広いようでもあり、狭いようでもあり、 伸びたり縮んだりするみたいです。」
個人的に、この「 伸びたり縮んだりする」という表現がとても素敵で好きです。
09年には登場するキャラクターが最も多い事でギネスも獲得しました。
トムス・エンタテインメントは7月16日、アニメ「それいけ!アンパンマン」が、単独のアニメシリーズのキャラクター数でギネス世界記録の認定を受けたと発表した。スタートから約20年で1768体が登場した。
記録の対象となったのは、1988年10月3日の放送開始から09年3月27日放送分まで(08年までの劇場版映画・同時上映作品含む)に登場した1768体。(引用;ITメディア)
アニメ放送が開始されて20年以上。
年1回公開されている劇場版も、今年で23本目になりました。
大人でも泣けるアンパンマン映画はこちら。おすすめです。
愛と勇気について、何の為に生まれて何をして生きるのか、
もう一度考えてみようかなぁ。
発売直前☆ 次世代のカーナビ“ サイバーナビ ”
2012.05.25|shiozawa
なかなかすごい次世代カーナビが目前7月に発売される事が発表されました。
商品名は“サイバーナビ”。
■近未来の技術が現実に!? ドライバーの視界にナビ情報が重なるパイオニアの“サイバーナビ”
パイオニアは8日、フロントガラス越しに拡張現実(AR)情報を表示できるヘッドアップディスプレイ(AR HUD)搭載カーナビシステム「カロッツェリア サイバーナビ」を発表した。
販売開始は7月下旬。価格はオープン。
同製品は、7型液晶ディスプレイ搭載のAV一体型HDDカーナビシステム。
「AR HUDユニット」(型番:ND-HUD1)を同梱し、運転席上部にあるサンバイザー取り付け部を利用して同ユニットを設置。
運転中のドライバーの視線に重なり合うように、フロントガラスにナビ情報を表示する。
その最新機能の解説動画がこちら↓↓
引用:YouTube
以前にも一度お話をさせてただきました“拡張現実”。
それをカーナビに適用したバージョンですね。
拡張現実とは?
現実の環境から知覚に与えられる情報に、コンピュータが作り出した情報を重ね合わせ、補足的な情報を与える技術
引用:IT用語辞典
1番目の機能解説の動画、説明が早くてわかりずらいですがすごい機能満載な事は一度見ただけでよくわかります。
なんといっても革新的なのは“ヘッドアップディスプレイ”。
この機能はカーナビで世界初。
透明な画面に、はその画面の先に見える道や建物のに解説を加えてくれる。
今までは左下にあるカーナビの小さい画面を見ながら運転するために、結構な時間目を正面からずらさなければいけませんでしたが
これだと、ちゃんと正面を見たままカーナビの解説を見る事ができます。
それもまるで、道にある標識のように、すぐそこに書かれているかのように。
さらにさらに、前の車の位置や、そばを歩く人をちゃんと認識して、危険が発生した時に連絡してくれたり、
レーンの白線を認識して“ふらつき”がある時に警告したり、
標識を画像認識して知らせたりと、もうなんでもやってくれる。
具体的な製品の解説。
サイバーナビは、2011年モデルにおいてARスカウターモードを搭載。約31万画素のCMOSイメージセンサーと画像解析ユニットからなる「クルーズスカウターユニット」を接続することで、ナビ画面とイメージセンサーから取り込んだ映像を合成して、AR(拡張現実)表示を実現していた。
2012年モデルの新型サイバーナビでは、AR HUD(ヘッドアップディスプレイ)ユニットを用意。サイバーナビ、クルーズスカウターユニット、AR HUDユニットを組み合わせることで、ナビ画面をフロントウインドーの前方に映し出す。
2DINモデルの「AVIC-ZH99HUD」
2DINモデルの「AVIC-ZH99HUD」
引用:CarWatch
主観的な感想ですが、ここ最近車の安全機能が急激に増えている気がします。
車は“スピードの時代”ではなくて“性能の時代”になったのでしょうか。
今回の機能で車の事故が1件でも多く減ればいいですね。
実に、世の中に貢献するいい製品だと私は感じました。
そして、今日の話とつながるリアルタイムな情報をひとつ。
本日まで“サイバーナビ”のような、車の最先端を見られるイベントが横浜でやっているようです。
<人とくるまのテクノロジー展2012>
今日、時間のある方はぜひ。
ありがとうございます。
知覧特攻平和会館
2012.05.10|iwamura
若者の自殺が増えているようです。
就職活動の失敗を苦に自殺する10~20歳代の若者が、急増している。
2007年から自殺原因を分析する警察庁によると、昨年は大学生など150人が就活の悩みで自殺しており、07年の2・5倍に増えた。
※読売ON LINEより抜粋
。。。
いずれ100%の確率で逝くんだから、死に急ぐこともないだろうに、というのが、小生の正直な感想です。
先だって、5月3日、知覧特攻平和会館へ伺いました。特攻で散った若者たちの合同慰霊祭が催されたためです。
子犬と戯れる5人の少年兵(第72振武隊員)
死を目の前にして笑顔なのは見てるほうとしては感無量の境地である。彼らの心中を悲しい表情をした子犬が物語っている。彼らは二度と帰ってくることはなかった。
※特攻の真実と平和より抜粋
宿は富屋旅館さんにとりました。
この宿は「特攻小母さん」として著名な鳥濱トメさんが、若い特攻隊員を、それこそ自分の着物を質に入れてでも、食わせて励ました歴史ある「富屋食堂」が形を変えて存続されているものです(今はお孫さんが経営)。
重い言葉です。
丁度合同慰霊祭ということで、特攻隊員のご親族の方とも相部屋にさせて頂きまして、貴重なお話の数々を伺うことができました。
その中で、元特攻隊員であった板津忠正先生ともお部屋をご一緒することができました。
先生は特攻隊員に選抜され、知覧を飛び立ったのであるが、搭乗機故障により帰還。
しかし、同日飛んだ仲間は全て大空に散り、「生き残る羽目に(板津先生談)」なる。以来、「何度も自殺しようと(同談)」されるが、そうではない、大空に、海に散った仲間たちのことを伝えることが使命であるとお考えになられ、仕事を中途退職し、特攻資料、隊員写真を集め始める。
名古屋市役所を辞め、3年で10万キロクルマをとばした。
ご遺族宅を訪問し、生前の仲間の話を伝え、位牌に手を合わせ、遺影を撮影し、遺書を集められる日々。
’95年、実に20余年の歳月をかけ1036名全員分の遺影を完全収集。
知覧特攻平和会館初代館長であらせられます。
※遺書と遺影が所せましと並ぶ知覧特攻平和会館。
遺書はみな、「お母さん行ってきます」「家族をよろしく頼みます」といったものばかりで、涙が止まりませんでした。知覧特攻平和会館、ハンカチというか、タオルが必須でございます。。。
死が当然であった特攻隊員が、生き残ったことの精神の呵責がどれほどのものか。これは体験した者でないとわからんでしょうね・・・・・・。あの時故障さえしなければ。やり切れない思いに、何度眠れぬ夜を過ごしたか。
生き残った申し訳なさから、私は復員後すぐに自分の隊のご遺族を捜し歩きました。皆さんに謝りたかったのです。
正直言って、最初は怖かった。「なんでおまえだけ生きて帰ってきたのか!」と責められるような気がしてね。ところが皆さん、「よく訪ねてきてくれた」と、わが子が帰ってきたかのように喜んでくれました。
当時は、特攻に行くことを家族に知らせる隊員はほとんどいませんでした。言えば悲しむでしょう。
だから家族のもとには、ある日突然戦死の通知だけが来る。
自分の息子や兄弟が、いったいどこから飛んでいって、どういうふうに最期を遂げたのか。それを知りたいと思うのは、肉親の情として当然なことです。それを私が代わりに伝えることで、非常に喜ばれたのです。
その後私は、ご遺族捜しで日本中を行脚するのですが、最初はそんな大それたことなど夢にも思っていませんでした。だけどご遺族の方の喜ばれる姿を見るたびに、自分は特攻隊の事を伝えるために生かされたんじゃないだろうか、と思うようになったんです。
特攻がいいか悪いで言ったら、悪いでしょう。
どんなに追い詰められていたとしても、一番重要で一番の資産である「ひとの命」が毎回失われるという攻撃方法が、効率的だとは決して思えない。戦略的に考えても絶対にマイナスです。10代、20代という、国を背負う若者が「確実に死ぬ」という作戦は愚かだった。
ただ、それでも。
彼らがお国の為、言い換えれば、自分の家族や両親、子どもたちのために、我が国の美しい未来にその命を託して、突っ込んでいった、諸先輩方のその心意気というか、生き様、死に様には、首を垂れるほかないと思います。
その滅私奉公の思いは、尊かったと、自分は思います。
翻って、もちろんつらい日々はあるだろうけれども、だからと言って、親からもらった、国の諸先輩方に支えられ、ここまで育てて頂いた命を、無下に捨てることは罪悪であると考えます。
もちろん、自分も自殺を考えたことがないわけではない。
それでもしかし、自殺にせよ、寿命にせよ、いずれ死ぬなら、死ぬまで、この命、愛する人のために使いたいと思うだけです。
この写真は、私の部隊が出撃するとき水盃を交わす場面で、中央の一番小さいのが私です。
これで一人前になった、お国のため家族のためになるんだという満足感がありました。
私は20歳でしたが、当時の仲間は皆そうだったんですよ。私らは特攻にいくときに靖國神社に当然入るものだと思って「それぞれに出撃してあちこちで体当たりしても、最後は靖國神社の鳥居のところに集まって一緒に入ろう」と言い交わしていました。
ただ自分たちが死んだあと、日本がどのようになっていくのか、そのことだけが心残りでした。
そのため、私は、靖國神社に参拝するときはいつも「今、日本はこうなっています」と報告しています。
でも、最近は非常に心苦しい時がある。今日の世相を靖國の御霊にどう報告すればいいのか、つらい気持ちがします。
最後になりましたが、涙が止まらない動画がございますのでリンクを張っておきます。
諸先輩方が夢見た「未来」が、今の日本の姿です。
今、我々はもう一度、「命」や「国」や「愛」というものを、考え直す必要があるかと思います。