HOME >
時代おくれ~朝青龍引退に思う。
2010.02.05|iwamura
いきなりこういうことを申し上げるのもなんですが、今回の「朝青龍ドタバタ引退劇」はセンスがないとしか言いようがない。
ヒーロー辞めさせて、どうするつもりなんだよ。
ドルジ。。。お前もお前だ。勝手に辞めやがって。
君の立ち会い前が、かっこ良かったよ。
片手思いっきりふり上げて、そのあとマワシ叩くのがさ。
動画反則だけど、河島英五聞いて涙ぐむドルジを見てあげてください。
引退会見も抜粋を見つけたので、以下に。
-メディアの報道は
朝青龍 メディアで流れることと実際起こしたこととはかなり大きな差があったので、最後まで待っていたいと思っていた。最後にけじめをつけるのは自分しかいないので。
-振り返る余裕は
朝青龍 言葉も違うモンゴルの大草原から来た少年を横綱への支援、育ててくれた皆様に感謝したい。
-品格を問われたが
朝青龍 品格、品格というが土俵に上がれば鬼にもなるし、やっぱり精一杯やらなきゃいけないという気持ちがあった。
-日本の相撲界をどう思うか
朝青龍 いろんな意味で世話になった、ちょんまげを結えるような…立派な力士にさせてもらった。
-うれしかった思い出は
横綱になる前で…(涙ぐみ言葉に詰まる)、横綱武蔵丸関に勝ったことだと思います(目頭を押さえる)。
-いろいろ思い出があるか
朝青龍 横綱を倒して初3役になり…両親を招待して横綱を倒した。それしかない。
※nikkansports.comより抜粋(部分略)
※ノーカット引退会見動画はこちら(音声が悪い)。
河島英五を理解する、親孝行な熱い兄ちゃんの姿しか、俺にはやはり見えてこない。
冒頭の「センスがない」だが、個人的にファンなブログより引用した。コメントが秀逸だったので、そちらも抜粋。
“朝青龍”は特定の個人名だ。“小沢一郎”も特定の個人名だ。
私たちは、朝青龍を引退させたのが誰か、個人名で特定できるか?私たちには見えている?小沢一郎をひつこく追い詰めるものは誰なのか?誰かひとりでもその人を固有名詞で特定できる?
できないです。
だってこれは、“権力を狙う特定個人”と“個人の顔を決して見せようとしない権力”の戦いだから。
※Chikirinの日記より抜粋
2003年、イラク派兵が決められたとき、それが東京外国語大学で、当時の逢沢副外務大臣講演会により、説明された。
アメリカの大学に留学していた友人が、質疑応答でたった一人手を挙げ、副大臣に噛みついた。
「あなたは、ひとりの人間として、本気で派兵行為を正しいと信じているのか!」
大臣の静かな返しが忘れられない。
「自衛隊も、我が日本国も、『組織』です。一致団結し、最大多数の最大幸福に向かうという皆の努力が、『組織』であり、『国』ですよ。」
わかる。
正論である。スイミーの論理は、俺も正しいと思う。one for all,all for one.
だが、スイミーの目になる奴も、俺は絶対的に必要だと思うのだ。
今、そのとき噛みついた友人は、外務省の要職についている。自分が正しいと決めてたら、危ない仕事も命張ってやってる。
自分の力、自分の強さで、正しいと思うことを推し進める個人に対して、我が国の組織や、メディアや世論はしばしば気持ち悪い。
全体を率いる、色違いの一匹、すなわち「目」をつぶしてしまっては、その業界全体が、盲目になってしまいはしないか。
今回の朝青龍の件もそうだ。
確かに強き者が腕力に訴えてはいけない。だが、何が真実なんだ?
彼が、汗水流して、命張って守ってきたその強さは、真実ではないのか?
相撲と日本と川島英吾を愛した祖国を2つ背負った青年が、横綱が、なぜ会見で泣くんだ。その理由は何だ。
そもそも、真実は、当事者しか知らないことだ。
夏巡業が「つらいから」逃げたなんて、あり得ない。彼は「甘やかされた日本人」とは全然違う。そんな発想は彼にはないよ。なんでも我慢できるだろう。どんなつらいことでも耐えられるよ。金と権力を手に入れるためならなんでもできる。だから彼は今、横綱なのだ。
「夏巡業が暑くてつらいから逃げた」と報道するマスコミの記者ほど、本質が見えてない人達はいないよね。彼らこそ、そういう感覚をもつ記者こそが、「暑いと働く気がしない」などという贅沢が許される社会で育ってきたのだ。
朝青龍が育った環境は、そんなんじゃなかったと思うよ。
※Chikirinの日記より抜粋
弊社は、朝青龍が綱とり後「初陣」となった、2004年夏場所時期の創業である。
元気がなくなると、何度か国技館へ足を運び、君の名を叫んだ。
俺は、君の熱く闘う姿を、今も、これからも信じている。
めだたぬように はしゃがぬように
似合わぬことは 無理をせず
人の心を 見つめ続ける
時代おくれの 男になりたい
マダガスカルの哺乳類は大陸から漂着
2010.01.27|shiozawa
まず、
マダガスカルってどこじゃい。
ココ
というわけで、アフリカ大陸の東に浮かぶ島ですね。ここにいる動物はなかなかフシギな連中が多いことで有名ですが、やっぱり
「どこからきたのか」
が一番ナゾだったわけです。なかでも漂流してきた説が有力だったのですが、その信憑性が上がったというニュース。
マダガスカルの哺乳類は大陸から漂着
インド洋のマダガスカル島に生息するワオキツネザルやオオコウモリといった哺乳類の祖先は、丸太などの漂流物に乗ってこの島にたどり着いたということが最 新のコンピューターモデルで示された。ライオンやシマウマがマダガスカル島に打ち上げられて新しい生活を始めるというアニメ映画『マダガスカル』は、あな がち嘘でもなかったようだ。
アフリカ大陸の南東部に生息していた哺乳類が嵐で海に流され、大きな木の幹や草木でできた“絨毯”に乗ってマダガスカル島に“漂着”したとする説は70年 前から唱えられており、今回のモデルはこの説を裏付けるものだ。遭難した古代の動物たちは海流に乗って大海原を数週間漂った末にマダガスカル島に到達した という。
一言で申し上げると「お前らは『ひょっこりひょうたん島』か。」
—————————————–
さて、ここにいる哺乳類の分布が、当初はナゾでした。何かアフリカの連中に似てるけど、どうやっても海を越えてマダガスカルと行き来できるとは思えない。しかもインドネシアのほうにもキツネザルがいるし、化石記録から、昔はインドにもいたのがわかってる。
19世紀にこの難問に直面した動物学者、とある仮説を立てました。
インドネシア~インドとマダガスカルの間に、今は無き大陸があったんじゃね?
キツネザルは「レムール」ですので、その仮想の大陸を「レムリア」と名づけました。
当時は大陸移動説も登場しておらず、まあ仕方ないですな。以後、そうした大陸は地質学的にはありえないという証拠がどんどん出てきて、この仮説は却下されるわけです。
—————————————–
で、レムールって名前がクセモノで、「霊魂」「幽霊」といった意味なんだそうで。
ここに食いついたのがマダム・ブラヴァツキーあたりの神智学者たち。どんどんオカルティックな話になっていき、最終的にチャーチワードの説なんかがくんずほぐれつしたところで、話はどこにあったかも分からない
ムー大陸(画像は多少の誇張があります)
あたりと微妙に混じりつつ、どんどん壮大になっていくわけです。嗚呼。
—————————————–
ムーが出たならアトランティスも、と思いますが、
を紹介して終わります。ひさびさに登場して何を喋っとるんだ俺は。
間寛平さんアースマラソンとその走り方について。
2010.01.19|iwamura
間寛平さんのがん告白、先週のニュースでしたが。
アースマラソンのテーマソングを作ってくれた忌野清志郎さんの訃報のときも、泣き崩れていた彼だった。
しかしそれでも、今回続行をすると。
これからアジアですね。
まだ1万キロ以上ある。
個人的には、今は休んでほしいと願う。
最近、やはり日本の冒険家の神、植村直己さんの「妻への手紙」を読んだ。周りに気を使う人だったようだ。まず自分よりも周り。滅私奉公、最後は無理してでも冒険実行。
そして彼は、マッキンリーで帰らぬ人となった。
周りの人の応援に応え、義理や想いの強さで生きる人は好きだし、小生もそこへ大きく賛同する側の人間ではあるのだが、行きつくところまでゆくと、西南戦争の西郷さんになってしまうのだ。
対して、一番その生き方として自然だったな、と読後感想を持ったのは、がんの余命宣告のち、好きなハワイに家族で移住し、最後の数か月を家族とともに暮らしたプロウィンドサーファーの飯島夏樹さんの「がんに生かされて」かな。
彼の著書に、忘れられないフレーズがあったので、抜粋する。
空を飛ぶ鳥が、なぜ飢えて死なないのでしょう?
なぜ、美しい花たちが土だけであれほど美しく咲き誇るのでしょう。
私には、彼らが自分だけで頑張って悠然と空を舞い、咲き誇っているとは思えません。
鳥や花も生かされている。今ようやくそう思うのです。
ここにたどり着くまで、ずいぶんと回り道をした気がします。
終末期の私は、ただただアフリカンチューリップのカレンダーを見ながら、今日も生かされてます。
※飯島夏樹さん「がんに生かされて」より抜粋(部分略)
俺が働いて買ったパンで俺が食って生きてるんだよ!ではなくて。
仕事ももらえて、パンもつくってもらえて、みんなに生かされてます。
寛平さんの走りに、勇気をもらって、今日も生かされてます。
くじけそうな時、あなたのアースマラソンの毎日の動画が、ぼくを生かしてくれています。
休んでもいいじゃありませんか。
そして来年でも、再来年でも、少しづつ、走り続けてください。
ゆっくり休んで、がんを治しまた走るあなたの、あなたの走りを、あなたの人生を、できるだけ長く、ぼくは見ていたいと思うのです。
文化の差~浸透圧の平衡化は誰の仕事か。
2010.01.14|iwamura
さて。今日は1枚の写真を見て頂きましょう。
1枚と言わず、2枚、3枚も。
久々にセンセーショナルな写真であった。中国(?)はチベット地方における「鳥葬」の風景。現在この地方を、写真撮りながら周ってる方のブログより。火葬や土葬があるように、鳥に食べてもらって、天に還るのだ、という葬儀の文化ですね。
文化と言うものは、厚手の布団のようなもので、時に煩わしく、厄介で、他者のものは受け入れ難い場合もある。
だが、その不自由な厚手の布団は、往々にして、温かく、我々を庇護してくれるものでもあるはずです。
箸を使うとか、生の魚をそのまま食べるとか、面倒やリスクが時に伴っても、良きものとして、我々は大事にしている。
そういった観点から、例えば豪州における捕鯨。
こいつも、センセーショナルな画像であったが。
この文化も、豪州人から見れば、我々から見る「鳥葬」と同じかもしれない。奇異で、気持ち悪い、哺乳類共食いの文化として、彼らの目に映る事実も、解らないではない。これは、我々が例えば、犬や猫を食べる人々を、文化的に認めることが難しい事実を考えれば、理解が容易であると思う。
そして、今日言いたいのは下記ニュースについて。
☆グーグルが中国から撤退も。
中国政府は国内のネット接続全体を通称「グレートファイアウォール(金盾)」と呼ばれるファイアウォールで囲んだ上で徹底した検閲を実行しており、中国当局に不都合な情報は表示されないようになっていますが、Googleが今後数週間で中国から撤退する可能性があることが明らかになりました。
詳細は以下から。
Official Google Blog: A new approach to China
Googleの公式ブログによると、2009年12月中旬にGoogleに行われた攻撃ですが、ターゲットは中国の人権活動家のGmailアカウントであったとみられています。
Googleは中国政府が行っている検閲よりもユーザーが情報にアクセスできることで得られるメリットの方が大事であるという信念を持って2006年1月に中国向けに「Google.cn」を立ち上げましたが、これらのサイバー攻撃やこの1年間に中国政府が行ったウェブ上の自由な言論をさらに制限しようという試みを受けて、中国でのビジネスについて再検討することを決定したそうです。
Gigazineさんより抜粋(部分略)
異質な文化について触れる機会が、インターネットによって増えている事実を考えます。
そこには、デメリットや、時に気持ち悪さや怖さを伴ったとしても、メリットが多いと信じたい。インターネットに触れる生活、情報の浸透圧平衡化は、異文化を理解する準備になるからです。人類がこれからの将来協力してゆくためには必須事項。「Imagine no country」はネットの役割。
「だから、人権団体を攻撃する中国や、独自の検閲を振りかざす中国はダメ。今後の付き合い考えますよ。」と、byGoogleさん。
でも、上記のような意見展開をしつつも、例えば日本にも、「Google八分」と呼ばれる検閲的なモノは存在するわけです。
最大多数の最大幸福を考えた際、出さない方が良い情報もあるかも知れない。しかしそれは、Googleさん独自の(勝手な)文化とも言えなくはないか?
だから、たとえば、今回の中国のニュースも多分に「まあそんなことないだろうけれど」という域は出ないものであるが、「そんなケツの穴の小さいこと言うなよ。ネットの雄Googleさんよ。」というのが小生の意見であるのだ。
ゴマメの歯ぎしりかもしれないが、世界の情報の浸透圧をなるべく平衡にする(異文化理解、みんなの平等、小さな世界)のはインターネットの役割そのものであり、その雄であるGoogleさんだからこそ、中国の文化も尊重してあげてほしい、時間をかけて理解してあげてほしい、「信念持って」参入決めたんだろ?あきらめんなよ!と思ったので、ヒトコト申し述べておく。
片山右京さん遭難について。~野口健さんの意見~
2009.12.23|iwamura
片山右京さん、大変でした。
右京さんと言えば、小生らの歳で言えば、あきらかにF1ドライバーであった。カッコ良かったですよ。
さて、その右京さんであるが、今回は大分マスコミに叩かれたりしていた。
どうも、上記もテレビ局の人の質問だったようだが、これはないだろう。
「お前やったことあるのか。」
しかし、どう自分の意見を発すればよいか。事の大きさゆえ、正直小生も何も言えなかった。サイレントメジャーと成り下がっていた。
そんな矢先、今回の遭難について、我らが野口健先生より、彼自身のブログにてエントリーがあったのでご紹介。
12月18日、富士山登山を行っていた片山さんら3名が遭難しましたが、その知らせに驚きまた他人事とは思えなかった。
何人かの記者から「片山さんが登山仲間を残したまま下山しましたが、どう思いますか!」と、最初から右京さんの判断に問題があったのでは、といったニアンスの質問が相次いだ。
しかし、私はその質問が辛く胸をえぐられる様な痛みを感じていた。何故ならば2年前私がチョモランマに登頂した日の出来事が頭の中を駆け廻っていたからだ。一緒に登頂した日本人登山家が下山開始直後に歩行困難となり、彼は私に向って「先に降りてください」と伝えてくるのだが、そんなこと出来るわけでもなく、そして次に「すぐに追いつくから先に降りていて」と。
一緒にその場に留まるのか、それとも先に降るのか。あの標高で彼を背負って降りる事は不可能。つまり助ける事は出来ない。かといっていつまでも一緒にその場に留まっていれば自分もやられる。酸欠と究極の極寒の中、自分はどうするべきなのか、なかなか判断できないまま彼に声をかけ続けていた。どれほどの時間が経過したのか、「う~ん」と唸り声と共に彼の首がガクッとなり、そのまま脈が落ちた。私の手も寒さで悴んでいたので本当のところ、彼の脈が止まっていたのかどうか、正直分からない。しかし、最後は自分が生きて帰らなければならないと、彼の体が落ちないように岩にロープで固定し下山を始めた。
あの時の出来事が未だに何度も何度も夢に出てきます。今振り返ってみてもあの状況ではやはり助ける事は出来なかった。
右京さんが下山を開始したのは午前11時過ぎ。遭難してから約12時間後。動く事もなく仲間に覆いかぶさったままの状態は右京さんにとってもギリギリの状況であったはず。
亡くなった宇佐美さん、堀川さんも、右京さんの7大陸最高峰登頂挑戦をサポートし一緒に夢に向かって歩んでいたのだと思います。だとするのならば、亡くなった彼らに対し最大の供養となるのは、右京さんが立ち直っていつの日か7大陸最高峰への挑戦を達成することではないでしょうか。
冒険人生は冒険から得るものもあれば、時に失うこともある。それでも、挑戦を続けなければならない時がある。冒険人生とはそういうものなのかもしれない。
宇佐美栄一さんと堀川俊男さんのご冥福をお祈りいたします。
※「野口健公式ブログ」より抜粋(部分略)
熱い、というか、経験者ならではのエントリーでした。これ読んだら、何も言えない。
野口さんは、キャラも発言も極端で強いから、テレビ等で彼を見て「元気な富士山お掃除のヒト」と捉えられているかたも多いであろう。
それはそれで良いのだ(と、彼自身も彼の著書で言っていた)。事実だし。
だが、彼の著書は、どれも勇気がもらえるから、今苦しい人も、そうでない人も、本で彼を知るのもいいと思う。
※まずは「落ちこぼれてエベレスト」あたりがいいかも。
さて、そんな野口さんは、相変わらず熱く、マナスル遠征から戻っても、精力的に富士清掃登山や、環境学校、遺骨回収等、精力的に活動を続けられている。
※以上写真、「野口健公式サイト」より。ニュース、激熱です。
っていうか、すごいペースで仕事をこなされており、頭が下がった。どれぐらい頭が下がったかと言うと、「忙しい」が口癖の小生は、それを今日から禁句とすることに決めてしまったぐらいなのだ。
————————————————
辛いことや、ときに、批判されることがあっても。
生き残ったものが、信じた道を突き進んでゆく。日々、挑戦を続けてゆく。それが、供養だと。
これは、仕事や会社、それこそ、国や人類全体にも言える話だと思う。
生きている我々が、今日もがんばって1日をおくりましょう。天皇誕生日。そんなことを考える今日でもいい。