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本年も誠にお世話になりました。これからも励みます。
2011.12.31|iwamura
と、いうことで暮れのご挨拶から入ってみましたがいかがでしょうか。
今年も誠にお世話になりました。
とても良い年でした。
ドラクエもお世話になることができ、社員も育ちました。
和幸さんのトンカツもフトコロを気にせず食べられるような気になっております。
おかげさまでありがとうございます。
そして、何人もの中国人の社長に出会えた年でもあります。
その中で一人、46歳の社長がおります。
彼は国際アニメフェアの仕事を通じて知り合った、日本の有名電機メーカー2社ほどの中国董事長(社長)経験もある、男であります。
ことあるごとに、
「お前は酒が飲めないよなあ。」
と小生のことをなじりつつも、
「お前は俺と同じ午年だからな。」
と、肩をたたいてくれるセンパイでもあります。
「日本の製造業も、もう苦しいですからね。」
と、初対面の時に小生。
「苦しいどころじゃないよ。終わってるよ。」
彼は言いました。
「食えない若い人たちを食わせないと。食えてないよ今の日本。なんとかしないと。」
小生は、この人に、信じてみてもいいですか、と思わせる何かを感じました。
我々が子供時代の正月は、
まだ、カルタも百人一首もあって、トランプもあった。
ババ抜き(って共通語なのかな?)ってなんですかあのゲームは。
めでたい新年の初日から最悪のカードを引いたら逝ってしまうという恐怖のどん底ゲーム。
その恐怖と戦う術を学び、また、
カルタや百人一首においては、
人よりも賢く、早く、そしてできるだけ多く奪うことを年の第一日目から学ぶのである。
カンプマサツがあり、どんど焼きにおける大きさの誇示や喧嘩があった。
未来に明るい何かがあった。
我々20代後半~30代世代は、かろうじて、物心ついたころの明るい時代の面影を知っている。
金だけの話じゃないですね。
ロストジェネレーションとか被害妄想は責任転嫁ですね。
あの明るさや前向きさは、小生は大事だったと思いますね。
我々の先輩たちも結構頑張ってたと思うわけなんですよね。
そうしたものを、仕事を通じて、伝えてゆく、2012年にしたいと思います。
さあ、我々が支えずに、だれが支えてゆくのかというおハナシの、はじまりはじまりでございます。
アメリカンフットボールが楽しい
2011.12.06|umiushi
どうも、umiushiです。
僕の好きな野球はメジャーも日本も終わってしまい、これから冬の間何を楽しみにすればいいのかと飲んだくれて途方に暮れていたところ、NFLの中継やってました。
うむ、小学校低学年の時、担任の前沢先生(誰だよ)におススメいただいて以来20ウン年、ようやくその面白さが分かってきました。
テネシータイタンズ、の、チア
アメフトファンや、学生時代アメフト部だった方には何を今更でしょうが、ぼくも前沢先生(誰d)の意志を継いでご紹介しちゃいたい所存です。
「フィールドにいる人間で、ルール全部理解してるのはレフェリーと両QBだけ」
なんてギャグを聞いたことあります。確かに一見フクザツなルールではありますが、
ボールを起点にした陣取り合戦
と思えばすごく納得。ていうか武器無いだけでマジ合戦だろこれ。
■はじめに
4回の攻撃権で10ヤード進む=DOWN(ダウン)制。これがアメフトの最も基本的なルールとなる。オフェンスにはまず4回の攻撃権が与えられ、その4回 のうちに10ヤード以上進むと、新たに4回の攻撃権が与えられる。オフェンスはそれを繰り返しながら相手エンドゾーンを目指し、TD(タッチダウン:6 点)やFG(フィールドゴール:3点)を狙う。逆に、4回のうちにボールを10ヤード以上進めなければ、その時点で相手チームに攻撃権が移ってしまう。言 いかえれば、野球でいう3アウトが、アメフトでは4アウトになっているといえる。※ 10ヤード=9.14m
とか、すごく分かりやすい。
(野球で例えられると分かっちゃうわたくしも、いいかげん『にっぽんのおじさん』でありますね)
後ろにしかパスしちゃいけないラグビーのマゾ的ルールよりも自由度高いし(全世界のラガーマン、すまん)、アメフトの観戦自体が
NFLの試合はゲーム以外にも様々なエンターテイメントに溢れています。ファンたちは老若男女を問わず自分の応援するチームのグッズを身にまといスタジア ムにやって来ます。駐車場は試合開始の何時間も前からバーベキューなどを楽しむファンたちでごった返します。この「テイルゲイトパーティー」と呼ばれる習 慣はNFLのゲームが行われるスタジアムならばどこでも見ることができます。試合前の国歌斉唱やハーフタイムショーには有名スターたちも出演することもあ り、見ている人たちを飽きさせることはありません。また、色とりどりのユニフォームや、試合を盛り上げるチアリーダーも試合に一層の華を添えます。
盆と正月が一緒に来て親族総出で焼き肉始めちゃったレベルで楽しそう。
で、アメフトといえばチアリーディング・・・
何と、日本人チアリーダーがおったのか。
これは試合云々以外にも、お子様はその迫力に、お母様はオスのフェロモンに、お父さんはチアで以下略もとい、上記引用や過去の記事にもありますが、エンターテインメントとしても上出来でございますね。
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どうしても写真では迫力というかパワー優先になっちゃいますので、こちらの動画でシメるべきでしょうな。
合成って話もありますが、だとしても動画と割と変わらないレベルなんでしょう・・・なんていうかこう、
を地で行っております。趣味に走ってすいません。
ところで一方、日本人としては、Xリーグにも注目しつつ、本日は退散いたします。
浅草神谷バー 文明開化の音がする
2011.11.17|umiushi
どうも、流浪のブロガーumiushiです。あこがれる人は吉田類です。
そんなわけで先日、旧友とともに超有名店に行ってまいりました。わたくしごとき若輩が今更ご紹介するのもアレですが、
なんと創業明治13年。19世紀じゃないですか・・・わたくしの曾祖父曾祖母あたりが「モボ」「モガ」と呼ばれていた時代にはすでに老舗。うーむ。
ビビっていても仕方ないので入店してみると、開高健ふうに「バァ」と申し上げたい雰囲気です。しかしいっぽう、老舗なのにえらぶったところは全然ない。インディアン安心。
ここは何といっても
で有名なお店ですね。
実はむかし飲んだ時はそれほど感心しなかったのですが、
齢三十にして(体だけは)大人になってみると、これ美味しい。
わたくしの貧困な舌と筆で申し上げると、杏露酒とブランデーとウイスキーを足して隠し味に養命酒、といった風味ですな。
こう書くと飲みづらそうな雰囲気ですが、度数もそんなに高くなく、クイクイ行けるお酒です。ただし本当にクイクイ行くとまずいことになりそうなので、そこは自制しました。
他に特筆すべきは
何がすごいって、他店ではこれは大ジョッキと申します。ま、大ジョッキくらいの値段ではあるのですが、中を頼んで大が来るヨロコビは何物にも代えがたいものです。インディアンうれしい。
おつまみも色々いただいたのですが、ここはひとつあえての変化球、
ラムの和風ソース
をご紹介。
羊肉が本当に苦手な方には無理ですが、ラムゆえに獣臭さもほのかな程度で、何より肉もソースも焼き加減も全てが完璧。魔味というのか清冽なコクというのか、にくの美味しさ炸裂でございます。これはまず注文するべき!インディアンうそつかない!
・・・ついコーフンしてしまった。
本当にこう、うまいものを「飲ませる」「食べさせる」お店です。浅草にお越しの際は、というか多少足を伸ばしてでも、ぜひ。
カープのユニフォームはカッコいい!そして横浜ベイスターズの話
2011.10.27|umiushi
プロ野球もそろそろCSに突入ですが、その前に申し上げておきたいのです。
広島のユニフォームはかっこいい!(断言)
(智徳にしたかったけど、健太のほうの前田になってしもうた)
綱島理友さんも昔の週べでおっしゃってましたが、オーソドックスかつメジャーの流行を取り入れて、いつの時代も安定しています。
で、ユニフォームは気分転換(暴論)でも変わりますが、オーナー企業が変わる場合ってのはチーム名も変わってしまうわけですよ。
そんなわけで今年はどうやら決まりそうですな。
“モバゲーベイスターズ”はNG!?“ヤフーホークス”却下の過去も
横浜のディー・エヌ・エー社への譲渡が決定した場合、球団名に同社が運営する携帯ゲームサイト「モバゲー」を使用するのは難しい状況のようだ。24日、楽 天の井上オーナー代行は「昔、ソフトバンクがヤフー(ホークス)でやりたいと言ってきたときにNPBは却下していた事実がある」と過去の事例を持ち出し た。仮にD社が「モバゲーベイスターズ」を申請してきても、反対意見が出そうだ。
・・・
イチロー選手も、「何でもメジャーに合わせなくても、たとえば鳴り物のある応援だって日本のスタイルとしてやってけばいいのでは」みたいなことおっしゃってました。
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その伝でいけば、企業名が入るのも日本の文化と思えばそれまでですが、あまりにヒドイ。
もう一度書きます、
「横浜モバゲーベイスターズ」(画像は今期のものです)
うむ、ヒドイ。
○○ゲ―っていう単語は、どうしても「無理ゲ―」「クソゲ―」のイメージが強いですな。唯一カッコよくて許されるのは
デナン・ゲ―
・・・すいませんでした。
—–
こうなるとユニフォームチェンジも必定かもしれませんが、ひとつだけ野球ファンとして申し述べたい。
旧ユニフォーム復活してくれ。
現オーナー企業も色々言われてますけど、マルハから球団譲渡されたとき、球団名もユニフォームもいっさい手をつけなかったわけですよ。
今の広島カープと比べても遜色ない、スタイリッシュなデザインだと思うので、これだけでも復古してくれないかなあ、と思うわけです。
「生誕25周年記念ドラゴンクエスト展」の実際。
2011.10.11|iwamura
ということで、ありがとうございます。
ドラゴンクエスト25周年展、お陰さまで大入りのようです。
自分は森ビルさんからの資料によりそれを知り得るが、正確な数値は知らない。
ただ、会場に開催3日間いた感覚として、お客さまの数を見て理解できるのだが、間違いなく大入りです。
諸処の問題は、展覧会を開始してみて解ったこともあり、今後そのシステム的問題も含め、改めてゆく必要はあるが、これは大成功になりそうだ、ということが、肌で感じられます。
そして伝説が、始まりそうです。
アメリカにおけるミュージカル公演、ブロードウェイでの上演が決まるかどうか、スポンサーがつくかどうか、そのすべては、関係者に向けた第一回目のプレ興行における、休憩時間までの前幕を基準に決定されるものと聞く。
休憩時間前の前半が終わって客席にスポンサーが大勢残っていれば成功。いなければお蔵入り。ひどい公演になると、幕が開いて5分で誰もいなくなるという。
ドラゴンクエスト展、お客さまの平均的滞留時間は2時間近くになるようだ。
これは展示会としては異例のレベルである。
そしてこれは決して行列で60分待ちとか、そういった話ではない。純粋に内覧に、それくらいの時間がかかるが、まったく苦にならない、ということなのである。
志田英邦は、飽きさせない。
当イベントの企画を書いたのは、志田英邦そのひとなのであるが、自分は他社も含め、この3年余り、昨年の東京ドームイベント時も含め、それこそ50や60では効かない数のドラクエイベント企画書全てに目を通しているが、しかし。
志田英邦氏からあげられた10枚程度のワードによるテキスト企画書を初めて見た瞬間に、この企画の成功がイメージできてしまった。
社会人になってから拾余年、グラフや解り易さ、デザインに優れた数々の企画書を見てきたが、文字ベースでここまでイマジネーションさせる企画書は初めてだった。初めて、この企画を本当に今すぐ、「俺が見たい」と思わせる何かがそこに在った。
イベント2日目の昼過ぎ、「初日を超える来場者数」の情報が流れた。
志田さんに握手を求めた。
断られた(笑)。
「そんなことよりも、」
展覧会の問題点と思われる個所を列挙する志田英邦。確かに、まだ来場者が2カ月ぶん解ったわけではない。
しかし展覧会は、ほぼ、彼の思い描いた企画通りに、でき上っている。
「テクニック(技術)とテクノロジー(技術)」
いや、むしろ、彼の企画はそれをベースとした、フジ産経グループというメディアコングロマリット、及び常にエレガントかつ心優しき現場主義者であり続ける森ビルという出資社側のサポートにより、より強固なものとして、成り立っている。
しかし、展覧会準備が始まってみてこれは解ったことなのであるが、やはり主役は、本案件を、最期の最後、「やりましょう」と決断した、スクウェア・エニックスドラゴンクエストプロデューサー、「青海亮太」そのひとであったという事実は否めない。
よく受けて頂けたと思う。
青海さん、今回発売した25周年記念ソフト、「ドラゴンクエストⅠ・Ⅱ・Ⅲ~ファミコン&スーパーファミコン」のプロデューサーなわけですよ。
発売直前、人生で一番忙しいかもしれない時期。
そもそも、ゲームプロデューサーは「ゲームを売ってナンボ」。
しかも、そのタイトルが「ドラゴンクエスト」であるのだ。売れなかったらそれは即、死を意味する。
青海さん発売のⅠ・Ⅱ・Ⅲは、発売1週間、このご時世にwiiで30万本。
「男」青海プロデューサーやりました(この後展覧会案件にいよいよ本腰を入れだす青海亮太センセイ)。
強い。
もの凄く強い。
やはり「ドラゴンクエストプロデューサー」はスゴい。
小生も3年というわずかな期間であるが、旧エニックスの在籍期間があり、「ドラクエを売る」と言うことに関して、その片鱗は経験をしたことがある。
売って当然、売れなきゃお前の責任だ。
スクウェア・エニックス宣伝部の皆さんの闘い方を見ればそれはわかる。それがブランドを守るということだ。
「棚を作ってくれないグループチェーンがあるのか。じゃあバイヤーにこう話してみろ。『次のドラゴンクエストはどれぐらい欲しいですか』」
ドラクエをベースに、ドラクエは神で、それをブランドとして成長をしてきた歴史が、スクウェア・エニックスには確かにある。
そしてだがしかし、変革の必要も、また同時に宿命として背負わされたタイトル「ドラゴンクエスト」でもあるのだ。
今回のような、企画書、原画を生で出しまくりというゲームイベントは過去に例が無い。
グーグル先生のデータベースでも、それは知りえない、生の迫力に満ちた世界だ。
そうした展覧会イベントは、スクウェア・エニックス及びエニックスは、過去25年間、一度も行っていない。
理由は簡単で
「失敗してブランドに傷がつくリスクがある以上、やらない」。
筋は通っている。
「ドラゴンクエスト」を冠に据える以上、万が一にも、売れないことは許されない。
だが、カフェで見つけたかわいい女の子を「ただ眺めてるだけの幸せ」じゃなくて。
彼女に声をかけて、もっと仲良くなれるかもしれない、という「より高度な幸せ」を掴む可能性について、我々はそれを諦めてはいけない。
自分の大事なドラクエタイトル発売前に、我々を信じ、リスクに飛び込んだ青海亮太プロデューサーの男気を、我々制作委員会サイドは、もう少し、理解しないといけない。
そしてこれはどういうことかというと、志田英邦という天才と、青海亮太プロデューサーという怪獣2人の仕事を、弊社が間近に確認したイベントであり、至近距離でその高度なやりとりに常に関わらせて頂けている実績は、非常に有意義である、ト、こう言うことなのでありますね。
その爆風にはすさまじいものがある。死ぬかと思うトキもある(笑)。
しかしその爆風の向こうに、上り坂な、坂の上の雲を追いかける心地よさがあります。
天才2人のエネルギーに、生かされていた、この3~4カ月間の準備期間だったと思います。
この仕事を正式に受ける前夜、志田さんと2時間にわたる電話。志田さんは半ば叫ぶようにこう言った。
「岩村さん、解ってますか。この仕事を受けるということがどういうことか。
相手は、我々の900倍、いや9万倍、ドラクエのプロなんですよ。」
プロの仕事、拝見させていただけております。
一流ではない、超一流だと思います。
改善点、諸処ありますが、会場を歩きながら、お客さまの歓喜の声を聞いていると、時に涙ぐむことがあります。
自分が、学校をさぼり、今は亡き祖父に伴われて並んだ、小学3年の冬の日を思い出します。
ドラクエ、隠れてやってた。
楽しかった。惹きこまれた。夢中になった。
ゲームデザイナー堀井雄二先生、ありがとうございます。
今回の展覧会におけるお客さまひとりひとりの、期待を裏切らず、むしろ逆に歓喜の声をあげて頂ける展覧会になったことに、感謝します。
堀井先生の、怪獣2人の、協力各社の、尽力と命をかけたエネルギーに厚く御礼申し上げます。
最高の仕事です。
もちろん、現在進行形です。
熱き魂のなせる、ドラゴンクエスト25周年の歴史。
そして、ドラゴンクエストブランドの、新たなるステージへの挑戦。
国内トップ売り上げを常にたたき出してきたその秘密、25周年の進化を、遠くまで見える、美しい東京の展望とともに、是非御一覧を。
「テクニックとテクノロジー」ですよ。