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宮崎口蹄疫問題。
2010.05.22|iwamura
あまりに重すぎて弊社ブログでも触れられなかった口蹄疫問題。
種牛への飛び火は、重い。今後の宮崎及び国の対応に関し、注視したい。
宮崎県の口蹄疫問題で、同県高鍋町の県家畜改良事業団から約20キロ離れた同県西都市尾八重(おはえ)に避難させていた種牛6頭のうち1頭に感染した疑いがあることが21日、わかった。
同県の畜産業にとって大きな打撃になる。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100522-OYT1T00088.htm?from=top口てい疫の感染が広がっている宮崎県で、感染から守りたいとして離れたところに
移していた特産の「宮崎牛」の種牛6頭のうちの1頭に感染の疑いがあることが
わかりました。農林水産省では、この1頭を処分する方向で検討しています。
http://www3.nhk.or.jp/knews/20100522/k10014611471000.html※痛いニュースより抜粋
「宮崎と国の対応に注視」か。我ながら「まるで他人事」ですね。
正直、今までの小生の反応です。「対岸の火事」。みなさんはどうでしたか?
そして、そんなダメ人間小生、あまりに感動したウェブサイト記事を発見し、泣きました。
人生を反省するとともに、口蹄疫問題に初めて協力できそうな方法が見えたので、こちらにそのまま報告します。
ソフトバンクの創始者孫正義さんがまたもやツイッターではなれ技だ。
ツイッター上で宮崎口蹄疫のチャリティーのアイディアを受け、わずか5分でサイトを作り上げたと、ネット上で話題になっている。
話題になっているのは2つのツイートです。
まずは、依頼を引き受けたと思われるツイート。
そして、このわずか5分後に、次のツイートがあったようです。
すごすぎます。さすが孫さんとはいえど、さすがにありえない速さ。
と思っていたら実はやはり違ったようです。依頼された時間は27時間前だったようなのです。依頼した方のツイートはコチラ。
実は、相談は27時間前に持ちかけられていたようです。その後時間をおいて、相談に対する孫さんの返事があり、その5分後に、孫さんのサイト作成の報告があったようです。ツイッター上の孫さんの人気のすごさが5分で作成したという噂を広めたのかもしれません。
どちらにせよ、企業姿勢として素晴らしいことは、疑いようがありません。
インターネットって本当にすばらしいですね。
ちなみに、こんな風にQRコードが設置されています。参考までに。
孫さんカッコよすぎです。
@masason依頼者でした。
起業家というか、人間はこうあるべきだな。
広告だと言われてもいい。以下、プレスリリースリンク張っておきます。「お父さんデジタルコンテンツ」売上、宮崎へ寄付されるようです。
宮崎県内における口蹄疫被害に対する支援について/SoftBank
みなさま、良い週末を。
加藤一二三九段伝説
2010.05.14|shiozawa
「加藤一二三」九段です。棋士ですな。
野良猫餌付け 将棋の加藤九段に中止などを命じる判決
餌付けで集まった野良猫のふん尿などで被害を受けたとして、東京都三鷹市の住民17人と管理組合が同じ集合住宅に住む将棋の元名人、加藤一二三(ひふみ) 九段(70)に餌付けの中止と慰謝料など645万円の賠償を求めた訴訟で、東京地裁立川支部(市川正巳裁判長)は13日、餌付けの差し止めと3万 6000~30万円の支払いを命じる判決を言い渡した。
このニュースの是非はともかく。いや、思いっきり「非」ですけど。
わたくし将棋にはとんと不調法で、銀の動きかたも怪しいくらいですが、どこかで見た名前だと思ったらこれですな。
- 1981年に10段位になる、加藤12310段だった。
- 一二三二冠王だった。
- 神武以来の天才と呼ばれる
棋士としてすごいのは分かるのですが、
- 洗礼名はパウロ
- 敬虔なカトリックのため「一分将棋の神様」と呼ばれるのが嫌、「一分将棋の達人」と呼ぶように懇願
- バチカンから「聖シルベストロ騎士勲章」受章
これもすごい。しかし、
私は棋士ですが、このたびは騎士にもなりました。ヴァチカンに事件でも起きれば白馬にまたがってはせ参じなければいけません 対局中に対局室のある4階から5階にあがり、賛美歌を歌いながら神に祈りを捧げる 敗勢になったとき「我が才能をもってすればなんとかなるはずだ」
この辺から不穏な空気が
なんと師匠を逆破門 「詰将棋は虚構の世界」 NHK杯の紹介文「ちょっと行動がアレですが、いえかなりアレですが、なんとまぁ元名人です」
・・・
やっぱりあったまとめ動画。
羽生さんなんかは「チェスも無敵に近い」など、いい意味でのみ(?)凄いですが、色々スゴイ人ってやっぱりいるんですね。
横須賀といえば海軍カレー
2010.05.07|shiozawa
まずはこちらをどうぞ。
2010/04/30
本日のレシピ(サーモンとイカのゴマ風味)を更新しました。2010/04/23
本日のレシピ(ポークカレー)を更新しました。2010/04/16
本日のレシピ(豆板醤炒め)を更新しました。
相も変わらずメシの話ですが、どこのサイトの更新履歴でしょうか?
それとも息子のケンタロウ?
いえいえ。
答え。
・・・海上自衛隊!! (レシピページはこちら)
船上生活の少ない楽しみの一つといえば、メシ。
わたくしumiushiもたまに船に乗るのでよく分かります。
カレーの出来がいまひとつの日は艦内の空気が険悪になるなんて話も聞きます。
ちなみに陸自も空自も、トップページにこんな情報はありません。海自ではいかにメシが大事か分かろうかと言うものです。
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じつは先日三浦半島の付け根あたりに行ったのですが、どうしても
横須賀=海軍=カレー
という方程式が頭をよぎってしまうのですな。
しかし海自を海軍というのも語弊があるかもしれません。英語名称は
Japan Maritime Self-Defense Force
・・・うーむややこしい。知り合いの外国人なぞそのものズバリ”Japan Navy”などと言っていたし、あまりこだわらないようにしよう。
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ご飯の話から徐々に不穏な話題になってまいりました。
不穏といえば、自衛隊に難癖つける人もいますが、以下の話をご紹介したく思います。
広島の平和集会にゲストとして呼ばれた自衛隊員に浴びせられた言葉
市民「自衛隊は無くすべきだと思いますが、自衛隊員の○○さんはどう 思いますか?」
市民「自衛隊が有るから軍事的緊張が発生する、憲法違反だから自衛隊は無くすべきだと思います、自衛隊員の○○さんはどう思いま すか?」
そこで自衛隊員の返事、俺はこの言葉をこれからもずっと忘れないと思う自衛隊員「そう言う人達も守るのが、 自衛隊です」
・・・本物の防人(さきもり)を見た気がする。もういっちょ。
2年前旅行先での駐屯地祭で例によって変な団体が来て私はやーな気分。
その集団に向かって一人の女子高生とおぼしき少女が向かっていく。少 女「あんたら地元の人間か?」
団体「私達は全国から集まった市民団体で・・・云々」
少女「で、何しにきたんや?」
団体「憲 法違反である自衛隊賛美につながる・・・云々」
少女「私は神戸の人間や。はるばる電車のって何しにここまで来たかわかるか?」
団体 「・・・・?」
少女「地震で埋もれた家族を助けてくれたのはここの部隊の人や。
寒い中ご飯作ってくれて、風呂も沸かしてくれて
夜は夜で槍持ってパトロールしてくれたのもここの部隊の人や。
私は、その人たちにお礼を言いに来たんや。
あんたらにわかるか?
消防車が来ても通り過ぎるだけの絶望感が。
でもここの人らは歩いて来てくれはったんや・・・・」最初、怒鳴り散らすように話し始めた少女は次第に涙声に変わっていった。
あまりにも印象的だったのではっきり覚えて いる。
団体は撤退。
彼女は門をくぐった時に守衛さんが彼女に社交辞令の軽い敬礼ではなく直立不動のまま敬礼していた。
・・・最後の日本語が変なのは勘弁しといてやる。
「憲法を変えて戦争へ行こう!!
2010.04.17|iwamura
という、これは本のタイトルなのであるよな。この辺からも、井上ひさしさんのアソビゴコロが見えて好きなのだ。
井上ひさしさん、尊敬していました。大好きでした。
しばらく、筆が取れない話題であった。
「吉里吉里人」など奇抜な設定と軽妙なタッチの小説や戯曲、エッセーで知られ、護憲運動にも力を注いだ作家・劇作家で文化功労者の井上ひさし(いのうえ・ひさし、本名廈=ひさし)さんが9日、死去した。75歳だった。
※時事.comより抜粋
奇抜な設定と軽妙なタッチか。。。別に奇抜だとは思わんけどな。
しかし、「ひょっこりひょうたん島」なんて、だいぶセンセーショナルで、日本のコメディというか、テレビの泣き笑いの元祖は、このひとではなかったか。
おちゃらけていらっしゃるようで、国語の教科書を読むような、(読み手に対する)優しい敬語と、美しい日本語を書かれる方でした。
そもそも、戯曲家(劇作家。舞台の台本やテレビの台本も描く人。)という方々は、日本語のうまい方、読んでいてイメージが湧きやすい文章を書かれる方が多い。
小生の友人にThe New York Timesに記事を書くような男がおるのだが、彼はやはりホンを書く向田邦子さんを「天才」であると尊敬し、神がもし、なんでも願いをひとつだけ叶えてくれるなら、という問いに対して「美しい文章を書く才能が欲しい」と、のたまったことがある。しかしそれは、小生も同感であって。
井上さんの著書から覗いてみよう。美しい文章を書くためにはどうすればよいか。
「現在望み得る最上かつ最良の文章向上法とは」
ひとことですむ。こうである。
「丸谷才一の『文章読本』を読め」
とくに、第二章「名文を読め」と第三章「ちょっと気取って書け」の二つの章を繰り返して読むがよろしい。
以上で言いたいことをすべて言い終えた。あとは読者諸賢の健闘を祈る。
・・・・
まだだいぶ紙幅が残っている。そこであまり役に立ちそうもないけれど、一つだけ書きつけておくことにしよう。
「むやみやたらに文章を読むことが肝要」である。優れた文章家は、ほとんど例外なく猛烈な読書家である。どうかその真似をしてほしい。いい文章を書こうとする前に、感心な読書家になるのだ。
※井上ひさし「死ぬのがこわくなくなる薬」より抜粋
これは、勇気のもらえる文章だ。
いい読書家は、いい作家になれる。いい視聴者は、いいミュージシャンになれる。いい美食家は、いい料理人になれる。いい部下は、いいリーダーになれる。
「好きこそものの上手なれ。」小生は、苦しくなるといつも井上さんのエッセイを読んでいた。
昨今ではこれが良かった。
キリスト教の洗礼も受け、イタリアに暮らしたこともある井上さんが、その愛の全てをこめて書いたボローニャ礼賛の書。
ちょっと目次を抜粋してみましょうか。
・テストーニの鞄
・大泥棒とこそ泥
・そのとき、坊やは、背後から撃たれた
・花畑という名の都市
・二つのイタリア
このネーミングの妙と申しますか、ブログも、本も、タイトルが全てだと小生は思っているのだが、もうこの目次タイトルのつけ方からして天才的。
良かったですこの本。「イタリアなんてカッコつけやがって。絶対行くかばーか。」と思っていた小生は、HISでイタリアのカタログをもらってきてしまった勢いである。
この本は、イタリア人は国なんて信用してないけれども、自分の住んでいる街を愛し、大事にしている、という内容だったんだよな。「イタリア愛してる人」の文章だったなって。
井上さんは、(日本の本も)20万冊以上も所蔵し、美しい日本語で文章を書く人だった。だから、憲法9条にも固執した。この緑滴る美しい国日本を、国民を、愛し信じていた。
敗戦(東京裁判3部作)や原爆(父と暮らせば)と言う日本人の、人類の悲しみを表現してきた彼。そんな歴史を繰り返さないための、彼の遺言、最後に、記載しておく必要がありそうですね。
九条は戦争ふせぐ最良の方法 井上ひさし(劇作家)
ちかごろ、この第九条の中身が古いという人たちがいます。「平和主義」という考え方は古いでしょうか。問題が起こっても、戦争をせず、話し合いを重ねて解決していく。その考え方が古くなったとは、私にはけっして思えません。むしろ、このやり方はこれからの人類にとっての課題ですから、第九条は、新しいものだといっていい。日本は正しいことを、ほかの国より先に行っているのです。「平和主義」という考え方は、人類にとっての理想的な未来を先取りしたものだといえます。
先日のロイター村本さんも、「撃ち合いなんて、人間は本能的にイヤだろ!平和がいいに決まってるだろ!」っていうことを、できるだけ多くの人に伝えるべくして、ぎりぎりまで現場に踏みとどまってらっしゃたんだと思う。
賛否はあるでしょうが、彼の「最後の映像」もアップし、本日、日本と平和を考える、週末としたいと思います。
日本国憲法第9条 条文
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
木村拓也さん訃報~若者へのメッセージ2010春。
2010.04.08|iwamura
昨日7日、元巨人軍の木村拓也さんが急逝されました。
ご冥福をお祈りいたします。
2日に行われたプロ野球・広島―巨人戦(マツダスタジアム)の試合前にくも膜下出血で倒れ、広島市内の病院に入院していた読売巨人軍の木村拓也(きむら・たくや)内野守備走塁コーチが7日午前3時22分、死去した。37歳だった。
宮崎南高から1991年ドラフト外で日本ハムに入団。94年オフに広島、2006年途中から巨人に移籍した。もともとは捕手だが、内、外野をこなし、打者としてはスイッチヒッターに転向。プロ19年間で投手以外のすべてのポジションを守るなど、球界を代表するユーティリティープレーヤーとして2004年アテネ五輪にも出場し、銅メダル獲得に貢献した。09年を最後に現役を引退。今季から巨人の内野守備走塁コーチに就任したばかりだった。
※yomiuri on lineより抜粋(部分略)
スイッチヒッター(右でも左でも打てる)であり、全てのポジションを経験する。
ものすごい器用で成功した方に見えますね。でも、苦しい時代があったみたいです。
今年の3月4日、巨人軍に入団した選手たちへ向けた、新人研修の際、彼が語った熱きメッセージをウェブサイトで見つけましたので、以下にご報告。
桜舞い散る春。少し長いですが、とても熱いです。サバイバーの言葉。
2010.03.04
NPB新人研修 木村拓コーチ講義内容
1990年のドラフトで、僕は指名されませんでした。ドラフト外で日本ハムに入団する時に、スカウトから「入ったら横一線だから。プロの世界は自分が頑張って結果を残せば、一軍に上がって大変な給料がもらえる」と言われました。
でも入ってみるとちょっと違っていた。僕はキャンプ初日にシートノックでボール回しをやった時に、「とんでもない所に来た」と思いました。プロのスピードについていけない。ドラフト外というのもなるほどな、これはすぐにやめて田舎に帰らないと、と思いました。
2年目に、一軍にけが人が多く、初めて一軍に上がりました。
3年目は開幕一軍でしたが、ほとんどが守備要員でした。1か月ほどで二軍に落ちて、それ以降は一軍に上がらずでした。3年目のオフに転機がありました。9月末から12月末の4か月間、ハワイのウインターリーグに参加し、イチロー選手といっしょでした。1歳下のイチロー選手に衝撃を受けました。4か月間同じ部屋で、朝起きたらいない。朝からウエートトレーニングをしていたのです。自分はこんなんじゃだめだなと思い、イチロー選手が僕の野球人生を変えてくれた一人になり、感謝しています。
4年目は、1年間一軍にいましたが、守備要員でした。しかしやっと「野球選手になれたな」と思っていたのですが、広島にトレードになった。正直「何でおれが」と思いました。広島は当時、野村、江藤、前田、音、緒方、金本の名選手ぞろい……僕に入り込むすきはなかった。移籍1年目は数試合に出て7打数で安打なし。「これはクビになるな」と思い、「どうやったらここで生きていけるか」と考えました。一軍のレギュラーの中では、セカンドが確か34、35歳のベテランだったので、セカンドをやるしかないと練習するようになりました。
移籍2年目は、一軍を行ったり来たり。それまでは右打席でのみ打っていましたが、左投手の時には代打で出られるけれど、右投手だと代えられる。どうしたら代えられないようにできるかと、スイッチヒッターに取り組みました。自分が生きていくためには必要だと。
プロに入って9年かかって、10年目に136試合フル出場しました。野球選手の平均寿命が8、9年で、自分がそこまで生き残れました。
今、みんなは希望にあふれて「レギュラーを獲って生き残ってやる」と思っているだろうが、必ず壁にぶつかる。そんな時、ざ折してあきらめるのか、そうでないのか、自分で考えないといけない。
自分は「こういう選手になろう」と思ってここまで来た選手じゃない。こうやるしか思いつかなかった。それが「ユーティリティープレーヤー」、「何でも屋」で、それでもこの世界で食っていける。「レギュラーになる、エースになる」だけではない。巨人の藤田宗一投手は、中継ぎ登板だけで自分と同じ歳までやっている。それで飯が食える、それがプロ野球。「俺が一番うまい」と思って入団して、一番得意だった事がうまくいかない。それもプロ野球。その時にあきらめるのではなく、自分の話を思い出してほしい。投げ出す前に、自分自身を知って可能性を探るのも必要ではないか。
※読売巨人軍公式ホームページより抜粋(部分略)
生き残る為に、自分の可能性を全て試し、なんでもやる。
うまくいかなくても、壁にぶち当たっても、決してあきらめない。
それが、「プロ」。
4月から「プロ」になるみなさん、そして、今までも、これからも「プロ」であり続けるみなさんへ。
天国から、木村拓也さんメッセージでした。