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twitterのオモシロさとその未来について。
2010.02.13|iwamura
と、いうことで週末なのに「twitter」とか大上段にまたまた~。。。と、いった感じですが。
調査によれば、2009年10月に初めて1カ月当たりの全つぶやき数が10億を突破。2010年1月には12億を超えていて、これは前年比16倍という劇的な伸びだという。
※アットマーク・アイティより抜粋
「キャズムを超えた」感はあるのかな。特に日本では。電波少年もはじめちゃったし。
昨今、自分のtwitterもあんまりさわってないにも拘らず、毎日のフォロワー数が減らない。周りがどんどん参加しているのがわかる。
twitterのオモシロさは、そのスピード感(2chのニュース速報より早い)ぐらいかな、と、小生も思っていたのだが、どっこい、水道橋博士のコメントが目からウロコで、もっと遊んでみようと思いました。
と、言うことで、以下、「博士の異常な鼎談」。週末だし公開しちゃうぞと(笑)。
「『twitterやらない』って言う人は、『携帯電話持たない』って言ってた人と同じですよ!」という、博士のコメントはなんだかうなずける部分もあり。
この動画見たら、結構、やってなかった人も、やりたくなるんじゃないかな?
でも、また一方で、警視庁が困惑したり、UCCさんがタタかれたり、というバタバタもありき。
まあ、これらは使ってる方がリテラシー低いのか、周りで騒いでる方が低いのかは、まあものの見方考え方。
ただ、切込隊長がいうように、ブームはすでにキャズムを超えたのではなく、レイトマジョリティに入りつつある。。。という説もある。
でも、レイトマジョリティだラガードだではなく、それこそ携帯電話のように、末永いお付き合いのライフツールになれば、それもまた面白いと思いますけれども。
みなさんがどう判断するか。それはまずやってみてから。
夢ケーキ~「アホか」と言われたイベントに家族が涙する理由
2010.02.06|iwamura
週末なので、やさしく。
夢ケーキプロジェクト。ちょっと可愛くって素敵だった。
口が減り続け、高齢化が進む典型的な地方都市。人が集まる施設も、商店街も近くにはなく、日が暮れれば辺りは真っ暗──。
とても商売に向いているとは言えない環境にありながら、連日多くの客でにぎわい、売り上げを伸ばしている繁盛店がある。長野県伊那市にある「菓匠Shimizu」という洋菓子店がそれだ。
ある本を読んで、菓匠Shimizuの存在を知った。『「最幸の法則」』という本である(本の紹介記事はこちら)。
その本の中で、菓匠Shimizuが1年に1回実施している「夢ケーキの日」というイベントが紹介されていた。全国の小学生以下の子供に、自分の夢を絵に描いて送ってもらう。そして、送られてきた絵を基にケーキを作って、子供たちに無料でプレゼントするのだ。
スタートしたのは2006年。2009年10月には、なんと850個のオリジナルケーキを作って配った。ケーキを受け取る親子が全国からやって来て、店の前に1000人以上の行列ができたという。
なんと!
小生生まれ故郷長野県飯田市の隣、伊那市にそんなスゴいケーキ屋さんが!!!
しかしタダで850個とは大盤振る舞い!
夢ケーキの日を始めたのは、3代目の店主、清水慎一さんだ。
お菓子には、人を笑顔にする力があると思うんです。菓子屋は、世の中で一番幸せや夢を与えられる仕事なんじゃないかという自負がある。だったら、家族で夢を語る時間を、うちがご提供したい。それで夢ケーキを始めたんです。
僕の一番の思いは、ケーキを無料でプレゼントすることではなく、家族で夢を語る時間をつくっていただきたいということなんです。だから、お子さんに絵を描いて送ってもらう時に、お父さんやお母さんの夢も一緒に書いてもらっています。
夢をケーキにして、家族で笑顔で、夢について語ってもらおうと。
これ、いいなあ。
夢ケーキを始めた時は、みんなから「そんなことしてアホか」と言われました。値段を付けたら4000~5000円で売れるようなケーキです。800個配ったら、1日で300万円。
でも、うちで夢ケーキを作った家族、お子さんたちは、その後も、クリスマスケーキとか家族の誕生日ケーキとかをうちに注文してくれるようになります。だから、ほかのケーキ屋さんにもどんどんやってもらいたいと思います。いつか「夢ケーキの日」が全国的なイベントになればいいなと思っています。
※JB PRESSより抜粋(部分略)
夢を提供しつつ、「『夢ケーキの日』をみんなでやって全国イベントにしましょう」。
これは、言えない。言えませんよ。「みんなでやろうよ」か。すごいな。。。
弊社企画のTOKYO DESIGN PROJECTも走り始めましたが、元々は、「食えないデザイナーさんが食えたらいいな」「日本がデザインで食える国で、ずっといてほしいな」が願いのベース。
でも、だったら。
みんなでできたら、もっと伝播早いですよね。
今日は、東京コミュニケーションアート専門学校さんの、企業コラボレーション制作展(卒業制作展)にお呼ばれして、幕張メッセへ行ってきます。
明日は、一緒に企画造りをしてくれているクリエイティヴ集団「bakamono(バカモノ)」主催の、元東京ディズニーランドプロデューサーさんの講演会にも参加してきます。
弊社ウェブサイトのリレーインタビューも、収録終わりました。次回もオオモノですよ☆
若い人たちに、夢を持ってもらうために、進めたいプロジェクト、いくつかあるんです。
夢もパンも、どっちでもおなかがふくれるようなお仕事、弊社も推進してゆきたいですね。
みなさんも、夢にあふれる、素敵な土曜日をお過ごしください。
時代おくれ~朝青龍引退に思う。
2010.02.05|iwamura
いきなりこういうことを申し上げるのもなんですが、今回の「朝青龍ドタバタ引退劇」はセンスがないとしか言いようがない。
ヒーロー辞めさせて、どうするつもりなんだよ。
ドルジ。。。お前もお前だ。勝手に辞めやがって。
君の立ち会い前が、かっこ良かったよ。
片手思いっきりふり上げて、そのあとマワシ叩くのがさ。
動画反則だけど、河島英五聞いて涙ぐむドルジを見てあげてください。
引退会見も抜粋を見つけたので、以下に。
-メディアの報道は
朝青龍 メディアで流れることと実際起こしたこととはかなり大きな差があったので、最後まで待っていたいと思っていた。最後にけじめをつけるのは自分しかいないので。
-振り返る余裕は
朝青龍 言葉も違うモンゴルの大草原から来た少年を横綱への支援、育ててくれた皆様に感謝したい。
-品格を問われたが
朝青龍 品格、品格というが土俵に上がれば鬼にもなるし、やっぱり精一杯やらなきゃいけないという気持ちがあった。
-日本の相撲界をどう思うか
朝青龍 いろんな意味で世話になった、ちょんまげを結えるような…立派な力士にさせてもらった。
-うれしかった思い出は
横綱になる前で…(涙ぐみ言葉に詰まる)、横綱武蔵丸関に勝ったことだと思います(目頭を押さえる)。
-いろいろ思い出があるか
朝青龍 横綱を倒して初3役になり…両親を招待して横綱を倒した。それしかない。
※nikkansports.comより抜粋(部分略)
※ノーカット引退会見動画はこちら(音声が悪い)。
河島英五を理解する、親孝行な熱い兄ちゃんの姿しか、俺にはやはり見えてこない。
冒頭の「センスがない」だが、個人的にファンなブログより引用した。コメントが秀逸だったので、そちらも抜粋。
“朝青龍”は特定の個人名だ。“小沢一郎”も特定の個人名だ。
私たちは、朝青龍を引退させたのが誰か、個人名で特定できるか?私たちには見えている?小沢一郎をひつこく追い詰めるものは誰なのか?誰かひとりでもその人を固有名詞で特定できる?
できないです。
だってこれは、“権力を狙う特定個人”と“個人の顔を決して見せようとしない権力”の戦いだから。
※Chikirinの日記より抜粋
2003年、イラク派兵が決められたとき、それが東京外国語大学で、当時の逢沢副外務大臣講演会により、説明された。
アメリカの大学に留学していた友人が、質疑応答でたった一人手を挙げ、副大臣に噛みついた。
「あなたは、ひとりの人間として、本気で派兵行為を正しいと信じているのか!」
大臣の静かな返しが忘れられない。
「自衛隊も、我が日本国も、『組織』です。一致団結し、最大多数の最大幸福に向かうという皆の努力が、『組織』であり、『国』ですよ。」
わかる。
正論である。スイミーの論理は、俺も正しいと思う。one for all,all for one.
だが、スイミーの目になる奴も、俺は絶対的に必要だと思うのだ。
今、そのとき噛みついた友人は、外務省の要職についている。自分が正しいと決めてたら、危ない仕事も命張ってやってる。
自分の力、自分の強さで、正しいと思うことを推し進める個人に対して、我が国の組織や、メディアや世論はしばしば気持ち悪い。
全体を率いる、色違いの一匹、すなわち「目」をつぶしてしまっては、その業界全体が、盲目になってしまいはしないか。
今回の朝青龍の件もそうだ。
確かに強き者が腕力に訴えてはいけない。だが、何が真実なんだ?
彼が、汗水流して、命張って守ってきたその強さは、真実ではないのか?
相撲と日本と川島英吾を愛した祖国を2つ背負った青年が、横綱が、なぜ会見で泣くんだ。その理由は何だ。
そもそも、真実は、当事者しか知らないことだ。
夏巡業が「つらいから」逃げたなんて、あり得ない。彼は「甘やかされた日本人」とは全然違う。そんな発想は彼にはないよ。なんでも我慢できるだろう。どんなつらいことでも耐えられるよ。金と権力を手に入れるためならなんでもできる。だから彼は今、横綱なのだ。
「夏巡業が暑くてつらいから逃げた」と報道するマスコミの記者ほど、本質が見えてない人達はいないよね。彼らこそ、そういう感覚をもつ記者こそが、「暑いと働く気がしない」などという贅沢が許される社会で育ってきたのだ。
朝青龍が育った環境は、そんなんじゃなかったと思うよ。
※Chikirinの日記より抜粋
弊社は、朝青龍が綱とり後「初陣」となった、2004年夏場所時期の創業である。
元気がなくなると、何度か国技館へ足を運び、君の名を叫んだ。
俺は、君の熱く闘う姿を、今も、これからも信じている。
めだたぬように はしゃがぬように
似合わぬことは 無理をせず
人の心を 見つめ続ける
時代おくれの 男になりたい
「自殺者3万人超え」~まつもと泉さんに学ぶ。
2010.02.01|iwamura
さて。月曜の朝からすみません。
また2009年も、自殺者が3万人を超えてしまいました。
警察庁は26日、昨年1年間に全国で自殺した人は、前年より504人多い3万2753人(暫定値)だったと発表した。12年連続で3万人を超え、統計のある1978年以降では5番目に多かった。
※asahi.comより抜粋
さてそして、我々30代世代の青春ともいうべきマンガ「きまぐれオレンジ☆ロード」の作者まつもと泉さんの、興味深いインタビューメッセージを発見したので、NHKさんに謝罪しつつ、アップ。
「父よ!母よ!信じてほしい」
彼のメモが、叫んでいた。
必要なのは、病んだ状態に対する、正しい知識(と、それを理解した上での家族のフォロー)と、そして(家族の理解の中での)休養なのだと強く思う。
まつもとさんの例は特殊であるけれども、自殺ひとつひとつ、鬱ひとつひとつの症例に病名が付けられるものが、はたしてどれほどあるのか。
10年後、20年後に、新たに発見される心の病の正式病名が、出てくるかもしれない。
「ちょっと待て」「ちょっと待ってください」
「もしかしたら治るかもしれないし、良くなるかもしれない」
※まつもと泉さんコメントより抜粋
まずは、我々は学ぶ必要があるのだと思う。状況判断をきちんとするということ。
この、我が国における大きな問題に対し、そういう、学べる場を、近い将来、弊社は全力を挙げて、つくるつもりでいます。
「かたあしダチョウのエルフ」という絵本があって、小生が小学生時代、センセーショナルな影響を受けたお話であった。
ライオンと闘って、ほかの動物を守ったエルフだったのだが、かたあしを無くしてしまう。
自分で歩くこともできなくなったエルフに、やがて周囲は冷たくなる。当然だ。弱肉強食のサバンナ。
エルフは哀しくて泣き、やがて逝ってしまう。
そして、彼は木になり、彼の足もとには湖が残り、再び動物たちを救った、というお話。
まつもと先生の次回作に期待したい。
そして、小生も願わくば、エルフのような生き方をしたいと思う。
間寛平さんアースマラソンとその走り方について。
2010.01.19|iwamura
間寛平さんのがん告白、先週のニュースでしたが。
アースマラソンのテーマソングを作ってくれた忌野清志郎さんの訃報のときも、泣き崩れていた彼だった。
しかしそれでも、今回続行をすると。
これからアジアですね。
まだ1万キロ以上ある。
個人的には、今は休んでほしいと願う。
最近、やはり日本の冒険家の神、植村直己さんの「妻への手紙」を読んだ。周りに気を使う人だったようだ。まず自分よりも周り。滅私奉公、最後は無理してでも冒険実行。
そして彼は、マッキンリーで帰らぬ人となった。
周りの人の応援に応え、義理や想いの強さで生きる人は好きだし、小生もそこへ大きく賛同する側の人間ではあるのだが、行きつくところまでゆくと、西南戦争の西郷さんになってしまうのだ。
対して、一番その生き方として自然だったな、と読後感想を持ったのは、がんの余命宣告のち、好きなハワイに家族で移住し、最後の数か月を家族とともに暮らしたプロウィンドサーファーの飯島夏樹さんの「がんに生かされて」かな。
彼の著書に、忘れられないフレーズがあったので、抜粋する。
空を飛ぶ鳥が、なぜ飢えて死なないのでしょう?
なぜ、美しい花たちが土だけであれほど美しく咲き誇るのでしょう。
私には、彼らが自分だけで頑張って悠然と空を舞い、咲き誇っているとは思えません。
鳥や花も生かされている。今ようやくそう思うのです。
ここにたどり着くまで、ずいぶんと回り道をした気がします。
終末期の私は、ただただアフリカンチューリップのカレンダーを見ながら、今日も生かされてます。
※飯島夏樹さん「がんに生かされて」より抜粋(部分略)
俺が働いて買ったパンで俺が食って生きてるんだよ!ではなくて。
仕事ももらえて、パンもつくってもらえて、みんなに生かされてます。
寛平さんの走りに、勇気をもらって、今日も生かされてます。
くじけそうな時、あなたのアースマラソンの毎日の動画が、ぼくを生かしてくれています。
休んでもいいじゃありませんか。
そして来年でも、再来年でも、少しづつ、走り続けてください。
ゆっくり休んで、がんを治しまた走るあなたの、あなたの走りを、あなたの人生を、できるだけ長く、ぼくは見ていたいと思うのです。